2006/03/28

【Flick】Чебурашка <チェブラーシカ>


Чебурашка <チェブラーシカ>
(1969、ソ連)

原作:エドワード・ウスペンスキー
監督:ロマン・カチャーノフ




ロシア発、かわいくて胸にキュッとくる感動と勇気をくれる人形アニメ。オレンジ箱に入ってジャングルからやってきたチェブラーシカは、頼る人もおらず、電話ボックスで暮らす始末。ワニのゲーナが貼った「友だち募集中」のチラシがふたりを引き合わせ、小さな冒険が始まる…。 正体不明ゆえ動物園にも受け入れ拒否されたチェブラーシカ、ワニとして動物園に勤めるが孤独に悩むワニのゲーナ、有名になるためにいたずらに命をかけるおばあさんのシャパクリャクなど、メインキャラははずれ者ばかり。でも、楽しくなりたい、孤独でいるのはイヤだ、と切実に望み、精一杯生きている。その姿には不思議な暖かさがあり、心の底にある寂しさをじんわりと潤してくれる。 物悲しさと懐かしさをはらんだロシアの音楽もいい。短編だが3本とも密度が濃く、何度見ても飽きないハズ。(Amazonより)




第1話:『こんにちわチェブラーシカ』
第2話:『ピオネールに入りたい』
第3話:『チェブラーシカと怪盗おばあさん』
おまけ『チェブラーシカ、学校へ行く』
の全4話。
どうも本当にこれしかないようだ。1本が20分弱しかないので本当にすぐ終わってしまうが、クオリティは極めて高い。

クレイアニメ独特の手作り感がたまらない。はたはたと舞う蝶に棒が付いているのがうっすらと見えるが、これを人が頑張って動かしているのだなあ、と思うと微笑ましく心があたたまる。
チェブラーシカ、ワニのゲーナの小さな仕草も真に迫っていて、本当に命を吹き込まれたかのようだ。

旧ソ連の貧しい世相を反映しているのだろう、チェブラーシカは必要以上にみすぼらしいし、子供広場を作る材料は廃材だし使う道具については言うまでもない。
遊びといえば積み木やチェスに独唱合唱、何も消費しないものばかりが続き、大の大人がケーキを欲しがり、巣箱も、家だって自分で作ってしまう。作中のそこかしこににじみ出る貧しさを、しかし登場人物は何も感じさせず暖かくゆとりと優しさを持って生きてゆく。さすがアネグドートの国、ロシア。庶民の強さとしなやかさには一日の長を感じさせる。個人的にウクライナに知人がいるのだが、やはり同質の強さと優しさ、そして賢さを内に秘めているのを感じる。これが文化というやつなのだろうか。

この作品は日本では2001年にミニシアターでアート系映画として公開されたのだが、全体を貫く沈んだ色調に、悲しげな明るさが伴う音楽、小道具の細部デザインの秀逸さ、どれをとっても充分に芸術的である。本来子供用アニメではあるのだろうが、大人の鑑賞にも堪えられる奥深さ、完成度の高さを誇っている。

アニメといえば、ジャパニメーションなどと呼ばれる作品が世界を駆け巡り日本のお家芸のように捉えられているが、日本とは異なる連綿と連なる文化を背骨にした濃密な作品が日本以外で生まれていることを知ることができ、その奥深さを再認識させられた。
この媒体は純粋なメッセージは届けることが出来るのだ。
まっすぐな子供にも。
少し疲れた大人にも。


強く、優しく、しなやかに。
心がじんわりとあたたまる良作です。


総評 86点 С(゜Д゜)Э < УРА-!


 

【Flick】dot the i


dot the i 〈ドット・ジ・アイ〉
(2004、スペイン/イギリス)

監督:マシュー・パークヒル
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル
    ナタリア・ベルベケ
    ジェームズ・ダーシー 





結婚が決まっていた女性が、独身最後のパーティで偶然居合わせた一人の男とキスしたことから、思いがけず危険な三角関係に陥っていく姿を、巧妙なトリックを織り込みサスペンスフルに描いたラブ・ミステリー。主演は「天国の口、終りの楽園。」のガエル・ガルシア・ベルナル。監督はこれが長編デビューのマシュー・パークヒル。 ロンドンに暮らす美しいスペイン人美女カルメンは、郊外の邸宅で優雅な生活を送る優しい恋人バーナビーにプロポーズされ、これを受け入れる。幸せを噛みしめるカルメンは、ある夜女友達だけで独身最後のパーティ(=ヘン・ナイト・パーティ)を開いた。そして、パーティの決まりに従い、その場にいる一番セクシーな男性とキスすることになった彼女は、ビデオカメラを手にした青年キットを選ぶ。ゲーム気分の気楽なキスのはずが、唇を重ねた瞬間、彼女はキットこそ運命の男だと確信してしまう。やがて、何かに導かれるように再会する2人だったが…。 (allcinemaより)





ビデオ屋でたまたま手にとって借りた作品。サスペンスということすら知らなかったので中々楽しめた。
ストーリーは先が読めるし、全体として設定が甘く有り得ない展開ばかりが続くが、ロマンスやファンタジーの類と思えば気になるほどではない。というより、出演者が絵に描いたような美男美女なので自然とそんな気分になってしまう。キットやカルメンの衣装もとてもいいし、冒頭のハンディカメラによるカルメンのカットなど淡く切ない恋の影といったものを正攻法で描きだしている。

やっぱりこの作品は邪魔にならない程度にサスペンス要素が入ったラブストーリーと考えた方がよさそうだ。そう考えればこのキャスティングは正に絶妙。肩肘張らずに、女性ならキット、男ならカルメンにモエーとか言ってるだけでも楽しめそうだ。
日曜の昼下がりにパスタと喰らうハウスワインのような、カジュアルないい映画ではないでしょうか。


総評 78点  アリです。(*^ー゚)b  Good job!

2006/03/27

【Flick】ゴッドファーザー PartⅢ


ゴッドファーザー PartⅢ
(1991、アメリカ)

監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ
ダイアン・キートン
アンディ・ガルシア
タリア・シャイア
ソフィア・コッポラ
フランク・ダンブロシオ 




 コルレオーネ・ファミリーを描いた壮大なドラマの最終章。ファミリーのドンとなったマイケル(A・パチーノ)は、バチカンの加護を得て一切の犯罪から手を引くことを宣言した。だが後継者に甥のビンセント(A・ガルシア)を立てたことから内部抗争に火がついてしまう。自身も病に蝕まれるマイケルは何とか事態の収拾を図ろうとするのだが……。名作・傑作の誉れ高い前2作の後という、想像しがたいプレッシャーを考えるなら、これはこれで<サーガ>の締めくくりには相応しい完成度と言ってもよいだろう。オペラ劇場で迎えるクライマックスと、その後に続く幕切れも充分な感動を与えてくれる。過去の因縁によって再び暴力の世界に引き戻されるマイケルを、老け役で熱演するパチーノや、血気盛んなガルシアなどキャスト陣の頑張りも悪くない。当初ウィノナ・ライダーが演じる予定だったマイケルの娘役にはコッポラの娘ソフィアが扮し、一部の映画ファンや評論家からブーイングが起こったが、イタリア娘の情熱と存在感はよく出ていた。(allcinemaより)




ゴッドファーザー3部作最終章。
前2作があんまり素晴らしい出来だったので、いけないいけない、と思いながらも期待に胸膨らませて観てしまった。
俺が感情移入しすぎたのか、前作から間を置かずにみたのが原因か(エントリは随分空いたけど1,2,3は続けざまに観てます)分からないけど、マイケル・コルレオーネにリアリティを感じなかった。
「ゴッドファーザー」そのものを上手く受けいられなかったからか、全体のテンポや台詞回し、構図の取り方までぎこちなく感じられ、これは前2作とは監督が違うんだな、と本気で思いながら観ていた。クレジット見たときはビックリしたな。
ここにコピペするため探してきたallcinemaの解説で初めて知ったが、ソフィア・コッポラの出演が議論の的になっていたみたいね。俺として全然OKでした。俺はキャスティングは重視するほうだと思うが、関係者じゃないので作品にマッチしてさえいればそれでいいのです。

この作品の存在によって3部作がまとまっているのは否めないところだけど、どうしても拭いきれない違和感が残ります。カレーにヨーグルトを入れたらまろやかになって実際美味しいんだけど、カレーというものは本来こういうものだったとどこか心残りで、しかし口中が調和の取れた味に満たされた状態ではスパイスの刺激を思い出すことが出来ない、といった感じです。却って分かりづらいかw
頑張ってもうひとつ比喩するなら、親父より強くなってしまった思春期のような気分、かな。


総評 69点 
個人的にはⅡで終わりでよかったと思うね

【Flick】ゴッドファーザー PART II


ゴッドファーザー PART II
(1975、アメリカ)

監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ
ロバート・デュヴァル
ダイアン・キートン
ロバート・デ・ニーロ他






亡き父のあとを継ぎドンとなったマイケルの苦悩と復讐を、父ビトーの少年時代からやがて一大ファミリーを築くまでのエピソードを交えて描いた、傑作「ゴッドファーザー」の第2作。 前作から5年後。ドン・マイケル・コルレオーネは、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー畔に移していた。近くに一家の収入源であるラスベガスを控えていた為である。ドンの椅子に座るマイケルの頭の中には、やがて父ビトーの事が巡ってくる--若き日のビトーの物語は、マフィアの親分ドン・チッチオに殺されたビトーの父の葬列の場面から始まる。悲しみに暮れる葬列の中、突然一発の銃声が轟いた。シチリア人の掟に従って復讐を誓い、山に隠れて機会をうかがっていたビトーの兄が逆にチッチオの手下に撃たれたのだ。そして母もまた、チッチオのもとに幼いビトーの命乞いに行き、殺されてしまう。天涯孤独となったビトーは、チッチオの手下に命を狙われる中、命からがらにアメリカに逃げ延びた。リトル・イタリアで成長した青年ビトーは、若き日のクレメンツァ、テッシオ、ジェンコらと知り合う。パン屋、八百屋、服屋など様々な職業をやりながら、イタリア移民の人々の信望を集めていき、次第に頭角をあらわすビトー。そんな中、彼の前にリトル・イタリアの街を牛耳っている悪玉ファヌッチが立ちはだかった。彼の横暴を見かねていたビトーは、考えた末、街がキリスト教の祭りで賑わう中ついにファヌッチを拳銃で仕とめる。そしてこの銃声が、やがて築かれるドン・コルレオーネ・ファミリーの始まりであった……。 映画は、幼いビトーが青年となり、やがてファミリーを築くまでの物語と、父のあとを継ぎドンとなったマイケルの、父がそうであった頃と全く変わってしまった時代の中でのドンとしての苦悩と復讐の物語が、実に巧みに交差しながら展開してゆく。よく練り上げられた脚本、複雑な人間関係を重厚に描いた巧みさ、ゴードン・ウィリスの画調の美しさ、若きビトー役のロバート・デ・ニーロの卓越した演技、ニーノ・ロータの素晴らしい音楽と、本作も前作同様、映画全編全てが魅力の傑作である。 いわゆる一般的に認識されている続編とは違って、前作と本作とを合わせると1つの壮大なオペラと化すような様相で、その事はこの後コッポラ監督が自ら再編集した、「ゴッドファーザー・サガ」や「ゴッドファーザー 1901-1959/特別完全版」を見れば分かる。このシリーズはその両作品共にアカデミー賞を受賞しているが、シリーズが2作品共受賞するというこの記録は未だに破られてはいない。(allcinemaより)






続編はつまらない、これは映画に限らず続き物の宿命みたいなものだ。
そう評される理由はいくつかあるだろうが、最大の要因は観客の期待が大きいことだろう。前作よりもっと刺激的で面白いストーリー求められるのと同時に、観客が抱いているキャラにたいする愛着も壊すわけにはいかない。背反するベクトルをそれぞれ維持しつつ映画作品としてても伸ばしていくというのはいかにも難しい。余計な縛りがあるうえに期待は大きいのだ。
一応続編だけどタイトル以外は全然別物というのを除けば、2が1に匹敵するほど面白いのはバック・トゥ・ザ・フューチャーくらいしか浮かばない。
その中でこの作品は全く持って素晴らしい。前作の雰囲気そのままに、新たなストーリーそして構成でしっかりと作り上げている。美しい構図、安定したカメラワーク、音楽。
観客はもう一度「ゴッドファーザー」を楽しむことが出来る。ラストは未完の感が残るが、それがこの映画の完成なのだろう。(Ⅲもあるが。)
少なくとも僕は文句なしに楽しみました。

(以下少しネタバレ)
ところで劇中に若きビトーがファヌッチに要求された金を減額して渡し、「こっちも苦しいんだ。分かるだろ?」と言ったときにファヌッチが何故ビトーを絶賛したのか意味が分かんなかったんだけど、あれはビトーが仲間から集めた金をピンハネしていることを示唆したってことでいいんですよね?違ったら指摘してください。お願いします。m(_ _)m


総評 99点
1か2か選べといわれても、それは無理ですw