2006/03/27
【Flick】ゴッドファーザー PART II
ゴッドファーザー PART II
(1975、アメリカ)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ
ロバート・デュヴァル
ダイアン・キートン
ロバート・デ・ニーロ他
亡き父のあとを継ぎドンとなったマイケルの苦悩と復讐を、父ビトーの少年時代からやがて一大ファミリーを築くまでのエピソードを交えて描いた、傑作「ゴッドファーザー」の第2作。 前作から5年後。ドン・マイケル・コルレオーネは、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー畔に移していた。近くに一家の収入源であるラスベガスを控えていた為である。ドンの椅子に座るマイケルの頭の中には、やがて父ビトーの事が巡ってくる--若き日のビトーの物語は、マフィアの親分ドン・チッチオに殺されたビトーの父の葬列の場面から始まる。悲しみに暮れる葬列の中、突然一発の銃声が轟いた。シチリア人の掟に従って復讐を誓い、山に隠れて機会をうかがっていたビトーの兄が逆にチッチオの手下に撃たれたのだ。そして母もまた、チッチオのもとに幼いビトーの命乞いに行き、殺されてしまう。天涯孤独となったビトーは、チッチオの手下に命を狙われる中、命からがらにアメリカに逃げ延びた。リトル・イタリアで成長した青年ビトーは、若き日のクレメンツァ、テッシオ、ジェンコらと知り合う。パン屋、八百屋、服屋など様々な職業をやりながら、イタリア移民の人々の信望を集めていき、次第に頭角をあらわすビトー。そんな中、彼の前にリトル・イタリアの街を牛耳っている悪玉ファヌッチが立ちはだかった。彼の横暴を見かねていたビトーは、考えた末、街がキリスト教の祭りで賑わう中ついにファヌッチを拳銃で仕とめる。そしてこの銃声が、やがて築かれるドン・コルレオーネ・ファミリーの始まりであった……。 映画は、幼いビトーが青年となり、やがてファミリーを築くまでの物語と、父のあとを継ぎドンとなったマイケルの、父がそうであった頃と全く変わってしまった時代の中でのドンとしての苦悩と復讐の物語が、実に巧みに交差しながら展開してゆく。よく練り上げられた脚本、複雑な人間関係を重厚に描いた巧みさ、ゴードン・ウィリスの画調の美しさ、若きビトー役のロバート・デ・ニーロの卓越した演技、ニーノ・ロータの素晴らしい音楽と、本作も前作同様、映画全編全てが魅力の傑作である。 いわゆる一般的に認識されている続編とは違って、前作と本作とを合わせると1つの壮大なオペラと化すような様相で、その事はこの後コッポラ監督が自ら再編集した、「ゴッドファーザー・サガ」や「ゴッドファーザー 1901-1959/特別完全版」を見れば分かる。このシリーズはその両作品共にアカデミー賞を受賞しているが、シリーズが2作品共受賞するというこの記録は未だに破られてはいない。(allcinemaより)
続編はつまらない、これは映画に限らず続き物の宿命みたいなものだ。
そう評される理由はいくつかあるだろうが、最大の要因は観客の期待が大きいことだろう。前作よりもっと刺激的で面白いストーリー求められるのと同時に、観客が抱いているキャラにたいする愛着も壊すわけにはいかない。背反するベクトルをそれぞれ維持しつつ映画作品としてても伸ばしていくというのはいかにも難しい。余計な縛りがあるうえに期待は大きいのだ。
一応続編だけどタイトル以外は全然別物というのを除けば、2が1に匹敵するほど面白いのはバック・トゥ・ザ・フューチャーくらいしか浮かばない。
その中でこの作品は全く持って素晴らしい。前作の雰囲気そのままに、新たなストーリーそして構成でしっかりと作り上げている。美しい構図、安定したカメラワーク、音楽。
観客はもう一度「ゴッドファーザー」を楽しむことが出来る。ラストは未完の感が残るが、それがこの映画の完成なのだろう。(Ⅲもあるが。)
少なくとも僕は文句なしに楽しみました。
(以下少しネタバレ)
ところで劇中に若きビトーがファヌッチに要求された金を減額して渡し、「こっちも苦しいんだ。分かるだろ?」と言ったときにファヌッチが何故ビトーを絶賛したのか意味が分かんなかったんだけど、あれはビトーが仲間から集めた金をピンハネしていることを示唆したってことでいいんですよね?違ったら指摘してください。お願いします。m(_ _)m
総評 99点
1か2か選べといわれても、それは無理ですw
ラベル:
映画
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