2007/06/25

ローズ・イン・タイドランド


TIDELAND
(2005、イギリス/カナダ)
監督:テリー・ギリアム

『不思議の国のアリス』を下敷きに、一人の少女のグロテスクな空想世界を独特の乾いたタッチで綴ったミッチ・カリンの異色ファンタジー『タイドランド』を、鬼才テリー・ギリアム監督が完全映像化。奇妙で陰惨な現実世界の中で軽やかに戯れる少女の姿が、イマジネーション豊かに描かれてゆく。ヒロインのジェライザ=ローズ役は、本作の演技が高い評価を受けたジョデル・フェルランド。共演にジェフ・ブリッジス。 『不思議の国のアリス』が大好きな10歳の少女ジェライザ=ローズ。両親が2人ともヤク中で、ある日ついに母親が死んでしまう。慌てた父親はジェライザ=ローズを連れて故郷へと旅立つ。辿り着いた実家は、周囲に何もない草原の中に立つ壊れかけた古い家。着いて間もなく、父親もクスリを打ったまま動かなくなってしまう。一人取り残されたジェライザ=ローズだったが、指にはめた頭だけのバービー人形を相手にしながら周囲の探索を開始するのだった…。(allcinemaより)


うーん。難しい。
こういう映画は好きな筈なんだが、面白かったのかどうか良く分からない。

ヒロインのジョデル・フェルランドは正に天才的な演技を見せて、子供が世界をありのままに創造していく難しい役柄を演じ切っている。迷いの無い子供独特の強さを、世界の中で自分であることを演じているという半端な自我を、完璧に演じ切っている。
丸まって寝る姿は幼児の様であり、くっついたり離れたりで男をコントロールして行く様は時に大人の女優顔負けの妖艶さも放つ。ホントに凄い。
特典映像のインタビューとかでは普通の子供で安心しました・・。もしかしてアレも演技だったりして・・。末恐ろしい子です。


ということで、ヒロイン・ローズの人物像は完璧なまでに描かれていたのだけれど、一方、子供の頃に自分はこんな風に感じていたか?と思い起こしてみると、どこか違和感がある。

はっきり言って、幼少時代は俺もかなりの妄想家であったが、現実は現実として認識する能力はもっと高かった様に思う。お腹が減った、という事実を前に妊娠だのなんだので遊んだり、保護者の異変を察知しなかったり、まして無視したりということはあり得ないんじゃいかなー?子供は、自分が保護者によって守られている存在であることを知っている筈だ。
自分自身が子供のときは、妄想は妄想である、と自覚したうえでのめり込んでいた。自分の中の世界に遊びに行く、という意識でその世界と接していた。と思う。多分。

そういった自分とローズの根源的で厳然たる差が邪魔をしたのか、作品を通してジェライザ=ローズの中に入れなかった。
ローズだけで無く他の登場人物に入ることも出来なかった。

ローズの作った世界において、創造主たる彼女のルールが分からない、といういうことは世界の秩序が分からないということであり、秩序の根源が分からないというと、それは現実の世界そのままである。

キリスト教圏の人は不幸なことが起こったときに、オーマイゴッド!とかボージェモイ!とか言ってその不条理を嘆くが、それは神が創造主であるからであって、妄想の世界では自分は全知全能の創造主なのから不条理なことなど起こりようがない。もし気に食わないことがあれば、その世界はくしゃくしゃにして捨てて、新しい世界を作ればいいのだ。快楽の追求に一切の障害がないことこそが妄想の魅力である。

ファンタジーという確立された世界で登場人物になれないということは、世界のルールを知らないということであり、全ての法則が後出しで出されるようなものだ。手から離れたボールが下に落ちていくのか、上に落ちていくのか、あるいは膨れていくのか、離してみないと分からないのだ。
そういう意味で、世界から離れないようにするのにちょっとばかし努力を要する作品だった。
どうせならローズ以外にも視聴者が「入れる」人物を、たとえ人形でもいいから用意して欲しかったなぁ、と残念に思う。
折角面白そうな世界なのに、離れて見ているだけじゃ物足りないぜ。


とまぁ、自分とは異なるがために多少の労は強いられましたが、とにかくローズの世界観がよく描かれていたので彼女の「この先」を見てみたい気持ちにもなりました。いっそローズの一生を見てみたいね。
ゴッド・ファーザーみたいに3部作くらいでやってくれたら是非観てみたいと思います 。


何回か観ればきっと違う印象が出てくる。
そう感じさせる雰囲気を持った映画です。


とっちらかったまま構わずレビュー終えようとしている自分を省みて、あぁこうやっていくつの世界を捨ててきたのだろうかと、しみじみ思うのでありました。



満足度 81点  原作の方が面白い予感

2007/06/20

光とは何か?


たんまーーーに面白そう(&理解できそう)な特集のときだけ買う雑誌「Newton」

今回、100%文系な俺の心を捉えた特集は『光とは何か?』 だった。


光については、実は前から納得できないことがあったので読んでみた。

この本は、一般的にイメージする光とは可視光であるという見地から、色の発生のメカニズム(空は何故青い?とかね)から入り、レーザー光の解説をして、CDの記録・読取のシステムなどをつまみながら、光は電磁波の1種である、ということを明らかにし、では電磁波とは?との解説から新章に入り、最後に最先端の光の科学を紹介して結ぶという、典型的な素人向けの構成になっていた。
故にとても分かりやすくていいのだが、残念ながらそれほど目新しい記述も無く、先に書いた「納得できないこと」は、またも釈然としないまま残ってしまった。



この際、分かる人に訊きたい。

「光は、波であり、同時に物質である」

この命題は正しいの??


そんな曖昧なこと、神が許してもアインシュタインが許さないんじゃないかと思ったら光量子論は彼自身が提唱したみたいだし、光の速さを相対性理論の公理に持ってきた彼が矛盾を抱えたまま研究を進めていたとも思えない。(しかし俺は何とおこがましいことを言ってるんだ^^;)
というか、昔読んだ本にも今回のNewtonにも、「電子が弾き出されるんだから光は物質だよ。じゃなきゃおかしいじゃん」みたいなことが書いてあったんだけど、これは「解釈」にしか過ぎないよね?
何か説明できる「理論」があるのでしょうか・・・。


実験名は忘れたけど、電子を2つの穴が空いたスリット越しにスクリーンに打ち込むと、何故か着弾の跡は波模様になっている、というフシギを読んだことがある。何故そうなるのか?
そこでの結論は、結局ミクロの世界では「正確な観測」が出来ないために実験結果から帰納で考えるしかなく、真実は分かりませ~ん(゜Д。) というものだった。 
真実は分からないという前提のため、最近の科学は「理論」ではなく、「解釈」でスッタモンダしているんですよ。学問が真実を目指す時代は終わったのです。としてあったのだが・・・。

納得できーーん!!


かつて、科学者達は言った。

「それでも地球は回っている」
「神はサイコロを振らない」


現代科学では「真実」は求めない。だと?

あなた方はいつから堕落したのですか?
(「レイン・メーカー」より)


サインコカインタンジェント辺りで数字の国から逃げ出した俺にはとても無理だが・・・。
全くの他人頼みで心苦しいが・・・。

誰かスカッとさせてくれないかなぁ。頼むよ。

2007/06/11

運命を分けたザイル


運命を分けたザイル
TOUCHING THE VOID
(2003、イギリス)
監督:ケヴィン・マクドナルド
出演:ジョー・シンプソン  本人
    サイモン・イェーツ 本人
    ブレンダン・マッキー  ジョー・シンプソン
    ニコラス・アーモン サイモン・イェーツ
    リチャード・ホーキング 本人

アンデスの過酷な雪山でザイルに繋がれたまま遭難した2人の登山家の奇跡の生還劇を、当事者たちのインタビューと迫真の再現ドラマで描き出した真実の物語。ジョー・シンプソンのベストセラー・ノンフィクション『死のクレバス アンデス氷壁の遭難』を映画化。監督は99年の「ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実」でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したケヴィン・マクドナルド。
 1985年6月、野心溢れる若き英国人クライマー、ジョー・シンプソンとサイモン・イェーツは、アンデス山脈の難関、標高6600mのシウラ・グランデ峰に挑んだ。ほぼ垂直にそびえる西壁はいまだ誰も成功したことのない未踏のルート。それでも2人は数々の困難を乗り越え、ついに西壁を制覇し登頂に成功する。しかし、悲劇は下山途中に起きた。細心の注意を払って下山する彼らを自然の猛威が襲う。そしてついにジョーが数10メートル滑落してしまう。滑落時の衝撃で片脚を骨折してしまうジョー。雪山での大ケガは、即、死を意味した。事態の深刻さに言葉をなくすジョーとサイモン。意を決したサイモンは互いの体をザイルで結びつけ、無謀な単独救出を試みる。しかし視界不良の中、懸命の救助を続けるサイモンだったが、そこで再びアクシデントが発生、ジョーの体は垂直の氷壁で宙吊りとなってしまうのだった。2人をつなぐザイルは張ったまま、引き戻すこともそれ以上下へ降ろすこともできなくなる。このままでは2人とも死んでしまう。サイモンは運命の決断を迫られる…。(allcinemaより)





見終わって、どっと疲れた。


この作品は、雪山からの奇蹟の帰還を描いたノンフィクションだ。
登山と言えば夏の富士山くらいしか経験はなく、キャンプといえばやはり夏のキャンプ場がほとんどの僕が、本来雪山の遭難に感情移入出来る筈は無い。恐らくはこの映画を観た多くの人もそうであったと思う。それにも関わらず、映画の中に引き込まれてしまい、スクリーンの中の吹雪に震え、太陽が照りつける銀世界の中で喉に渇きを覚え、僕の様に「見終って、どっと疲れた」人も多いんじゃないかと思う。

この映画は、文明の回路のど真中で暮らす僕達と、アンデスの雪山で遭難した若者に共通点があることを示している。

きっと、その事実に驚かせされる。


別々のものと思っていたのものが、実は同じ根っこで繋がっている。
そしてそれは自分にも関係している。
それを実感できる喜びに似た感情。
リンゴの落下を見て万有引力を発見したニュートンも、定理に気付いたピタゴラスも同じ感情を抱いたのではないかと思う。

これは「発見」の喜びだ。




生きるということ、生きたいということ。

そこに意味を見つけ出せないままにも、切にそう願う。

今、自分がそれほどまでに「生きたい」人間であることを「発見」させられた。


根っこに抱えるものは何なのか。
希望なのか、摂理なのか、愛なのか。
なんだかよくは分からないけれど、そういうものを志向する世界の一員であることを感じさせてくれた、この映画に感謝したい。

明日からはもう少し立派に生きていけそうな気がする。たぶんw




満足度 98点   邦題がいただけない

2007/06/10

プレステージ


The prestage
(2006、アメリカ)
監督:クリストファー・ノートン
出演:ヒュー・ジャックマン  アンジャー
    クリスチャン・ノイル ボーデン
    スカーレット・ヨハンソン オリヴィア

 世界幻想文学大賞を受賞を受賞したクリストファー・プリーストの傑作『奇術師』を、「メメント」「バットマン ビギンズ」のクリストファー・ノーラン監督が映画化したミステリアス・ファンタジー・サスペンス。19世紀末のロンドンを舞台に、互いに激しいライバル心を募らせる2人の天才マジシャンの壮絶な確執が行き着く驚愕の顛末を幻想的かつトリッキーに描き出す。主演は「X-MEN」シリーズのヒュー・ジャックマンと「バットマン ビギンズ」のクリスチャン・ベイル。共演にスカーレット・ヨハンソン、マイケル・ケイン、デヴィッド・ボウイ。 19世紀末のロンドン。華麗かつ洗練されたパフォーマンスで魅せる“グレート・ダントン”ことロバート・アンジャーと、天才的なイマジネーション溢れるトリックメイカー“THE プロフェッサー”ことアルフレッド・ボーデン。このライバル関係にある2人のマジシャンは、互いを尊敬しながらイリュージョンの腕を競い合っていた。だがそんなある日、アンジャーの妻が脱出マジックに失敗して命を落とす。彼女の縄を縛ったのがボーデンだったことから、アンジャーはボーデンへの復讐に執着していく。そんな中、ボーデンはサラと出会い幸せな家庭を築く。一方のアンジャーも、美しく優秀なアシスタント、オリヴィアを得て、その華麗なステージは一層の評判を獲得していくが…。(allcinemaより)


バベルを観にいったときに予告を見て、めっちゃ面白そうやんけ!と期待していた作品。メメントも面白かったしね。(メメントといえば松本人志は酷評してたって話だったな。大日本人・・・。どうなんでしょう?)
で、やはり結論からいうと、予告の方が面白い作品って少なくないけど、これもそれに近い作品でした。
つまらなかった、というわけではないけれど、予告編で示唆するものとは方向性が違いすぎる。練りに練ったトリックで騙されたかったのに、肝心の二つの瞬間移動のネタがなぁ・・。
一つはいいんだけど、もう一つは厳密には解明されてないし・・。
あれを良しとしてしまったら冒頭の、「マジックは、"プレッジ"、"ターン"、そして"プレステージ"から成る」っていう前フリも無意味だよなぁ。あれじゃあ、いきなりプレステージじゃん!
対立する2人のキャラが立っていないのもイマイチかな。やはりどちらかの側に立って観ることができればもっと良かったと思う。まぁ、これは構成上仕方ないと思うけどね。

ということで、疑問点もあったけど、トータルで見れば演出・構成の出来が勝っていて、意外と長い作品にも関わらず最後まで飽きることなく楽しめました。オススメというほどではありませんが。


P.S.初めて六本木ヒルズの映画館行ってきたけど、あそこ座席が広くていいねー!俺はやや大型人間なので足元が広いのは本当に楽でよかったです。また行こう。


満足度 75点 密かに期待していた、俺でも出来る小ネタマジックのネタばらしがなかったのが残念でした・・(´・ω・`)