2010/10/06

尾崎裕哉くん

今月の初めから、尾崎豊の息子・裕哉が父の楽曲「I LOVE YOU」を歌うテレビCMが放映され話題となっている。

尾崎豊の息子―


尾崎裕哉(ヒロヤ)
21歳。
1989年7月24日生まれ。
5歳の時に母親と渡米。高校入学時に帰国。
現在、慶応大学環境情報学部3年生。
将来の夢は社会起業家。



俺の知っている情報はこんなところ。
21歳に「くん」付けもないものだと思うが、父同様に呼び捨てにするのも憚られ、かといって「さん」付けにするのもまた躊躇われるので、ちょっとハンパなこのあたりでご容赦願いたい。

単なる尾崎豊の一ファンである俺は音楽界に何のコネクションもなく、地位も名誉もないため当然、父子とも何ら面識があるわけではないが、共に一度だけ拝見したことがある。

父は、1991年10月。たぶん28日。
代々木オリンピックプールで行われたライブ「THE DAY ~約束の日~」に観客として見に行ったときに。
2階席だったのでとても小さなシルエットではあったが、深く深く心に刻まれている。

息子は、1995年4月25日。
狭山湖畔霊園にて行われた三回忌で。
母・繁美さんに手を引かれて墓前に向うところだった。
たまたま会場整理のバイトがあったのでスタッフとして現地にいた俺は、一般に法事における親族にそうするように黙って頭を下げ、先方からも会釈を返して頂いた。
奥さんは綺麗な方であったし、息子は父の面影を残すも、まだあどけない少年だった。
一般の参列客はおおかた帰った後であったが、わずかに残る熱心な女性ファンからは、カワイイ-!、やっぱり似てるー!と小さな歓声が上がっていた。



先に一ファンである、と書いたが、尾崎豊は俺の人生に多大な影響を与えた唯一無二の歌い手であり、多くのファンがそうであるように、俺の人生の一時において、あるいは人生そのものにおいて、無くてはならない存在であった。
CDは擦り切れるほどに聴き、本を買い求め、友人とその思想について、魅力について、飽きもせず語り明かした。
血気盛んな10代の半ば、面白そうなものに飛びついても、つまらなそうなものに楯突いても、どこか手ごたえが無く、「生き足りない」、そう感じていた。
その不足を埋める何かを求めるということ。それが尾崎を聴くこと、考えること、語ることだった。
日々生きる中で、俺はある「何か」は具現化し、欠落は欠落のままとして生きていくことにした。
そして尾崎は死んだ。



その少年を見たときに俺が思ったことは、「カワイイ」でも「似ている」でも無く、「可哀相だ」ということだった。
はっきりと父の面影を残した幼い少年は、「尾崎豊の息子」という属性を嫌がうえにも背負っている。
彼が歌えば皆はその歌声の中に「尾崎豊」を探し、彼が思案すれば次に語られる言葉の中にカリスマ性を期待するようになるだろう。
彼は自分自身を追い求めた父の息子であるが故に、埋もれる評価の中に自分自身を探さなけければならないようになり、自由を叫んだ男の命を継ぐが故に、自身の自由を疑うようになるだろう。
きっと大きく羽ばたくだろうが、背中の羽を動かしているのは「果たして本当に自分なのか」、そんな風に疑う時がくるのではないか。
そんな哀れみとも嘆きとも似た感情が湧き上がったのを覚えている。

母が日本を離れたのも、息子に父の影に覆われることのない人生を望んだからではないかと思われる。
だが、彼は帰国し、自らの夢を口にし、公の舞台で語ることを、歌うことを、選んだ。



尾崎豊は6枚のオリジナルアルバムを世に残したが、その内の一枚『誕生』は、タイトルからしていつか息子に聴いてもらうことを想定していたと思われる。

タイトルナンバー『誕生』から抜粋―


 
Hey, baby
忘れないで
強く生きることの意味を


何ひとつ確かなものなど見つからなくても
心の弱さに負けないように立ち向かうんだ

さあ 走り続けよう
叫び続けよう
求め続けよう

この果てしない生きる輝きを―



彼が彼として、彼の望む成功を手に入れられるように、僭越ながら祈っています。




2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

コンサートに行けたなんてうらやましいです。
あれから長い月日が流れました。

裕哉くんの声はおとうさんに似ていて往年の尾崎ファンの心に響くものがあったと思います。

あなたが昔裕哉くんに感じた可哀想という感情は今の彼を見るがぎり感じさせません。でも、背負い切れないものをたくさん抱えて生きて行くのだろうと察します。

尾崎ファンの多くは尾崎の死の真実を知りたいという気持が強いですから。ジャーナリスト永島雪夫氏が今まで語る事が出来なかった尾崎の死の真実を語る本が刊行されます。裕哉くんにとって逆風になるものかもしれません。きっと彼がいちばん真実を知りたい人なのでしょうね。

keigochkasan さんのコメント...

コメントありがとうございます。
気付くのが遅れてすみませんでした。

現在の裕哉くんをご存じなんですね。私の心配は杞憂に過ぎなかったようで、何よりです。
音楽活動を続けるのであれば、機会を見つけて聞いてみたいし、それを聴いて「尾崎裕哉っていいな」と思うことを勝手ながら期待してしまいます。
やはり彼の声は魅力的ですからね。自由に歌って欲しいと思います。

尾崎(父)の死の真相ですか・・・。
申し訳ないけれど、私はあまり興味がありません。彼は充分に生きたと思うからです。生きて、叫びたいことは叫び、歌いたいことは歌った。足りないものは求め続けた。
強烈に輝いて生きていました。
私達は彼のメッセージを通して、彼がどう生きたかったか、何を求めて止まなかったか、知っている。それで充分だと思うのです。
医学的な死因や、社会的な原因を知っても、大事なものは何も変わらない。そう思うのです。
そしてそうであれば、そっとしておいてあげて欲しい、そう願って止みません。