2006/04/27

【Flick】裸のマハ


裸のマハ
(1999、フランス/スペイン)

監督:ビガス・ルナ
出演:アイタナ・サンチェス=ギヨン
    ペネロペ・クルス
    ホルヘ・ペルゴリア
    ジョルディ・モリャ








19世紀スペインの著名な宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤの代表作『裸のマハ』を巡る女性たちの愛憎と葛藤をミステリアスかつ官能的に描いたサスペンス・ドラマ。監督は「ハモンハモン」のビガス・ルナ。出演は「雲の中で散歩」のアイタナ・サンチェス=ギヨン、「バニラ・スカイ」のペネロペ・クルス。 19世紀初頭のスペイン。時の王妃マリア・ルイーサが絶大な権力を手にしていたスペイン宮廷にあって、名家の出身で美人の誉れ高いアルバ公爵夫人もまた、社交界の華として、王妃に勝るとも劣らない権勢を誇っていた。奔放なアルバ公爵夫人は野心家の総理大臣マヌエル・デ・ゴドイの愛人であり、また当代随一の宮廷画家ゴヤとも特別な関係を結んでいた。そのゴドイは王妃を影で操る宮廷の最高実力者。アルバ公爵夫人以外にもペピータ・トゥドーというもう一人の愛人がいた。そんなある日、ゴドイは秘かにゴヤに対してある絵画の製作を依頼するのだった……。(allcinemaより)








「マハ、あなたは誰?」

ゴヤの名画、『裸のマハ』が描かれた宮廷を舞台に織り成される愛憎劇。
ちょっとした謎解きというか、サスペンス要素が程よく入っていて、『着衣のマハ』でなく『裸のマハ』であることにもちゃんと意味がある。エロいからじゃないんですよ。


中世スペイン王宮を舞台にした本作品は、全体に必要以上に豪奢で、抑圧的で、息が詰まるような均衡を保っている。田舎娘のペピータがその静寂を壊しドラマを生む役目を担うことになるのだが、ペネロペ・クルスがハマってます。ダンスのシーンは妖しさにゾクゾクしちゃいます。
バニラ・スカイ、オープン・ユア・アイズで「綺麗なねーちゃんだな」と思っていたがそれだけで、どちらかというと脇役向きの人だと思っていた。綺麗だけどオーラに欠ける印象だったんだよね。
ところがこの映画では彼女の魅力が存分に発揮されていて、その不思議な存在感はこの作品には不可欠なものになっている。彼女にはハリウッドよりスペインがいいのだろうか。そういえば「女王ファナ」という映画の若き女王役もエライ美しい女性だったな。スペイン女性には宮廷が似合うのかもしれん。
また、対する俳優陣もゴヤ役のホルヘ・ペルゴリアを筆頭に濃厚でいい味を出している。


役者だけでなく小道具や風景描写にも濃密な味がある。
厚く豊かな衣擦れの音、高い天井に響く足音、窓の外の石畳を駆ける馬車の蹄。
静謐な宮廷を彩る柔らかな音も気持ちよく、丁寧に描き出された時代風景はそれだけでも一見の価値はある。
時間も短いので疲れることも無く、心地いい暫しのタイムスリップが楽しめるだろう。

基本的には映像で魅せている映画だと思うので、これは大画面で観たいところですね。プロジェクターを買ってよかったと思うのはこんな作品を見たときです(´ⅴ`)


蛇足だが、原題にもなっている「ヴォラヴェルント」は劇中でも何回か台詞中に登場し、意味が分かんねーぞ、と思っていたが、どうもラテン語で「飛ぶ」とか言う意味らしい。作中では死の比喩として用いられていたのかな。
ネットでほんの少し調べたところ、後年のゴヤの作中にこの言葉が書かれていたとこかなんとかってことらしいが、興味を惹かれなかったので調べるのを止めてしまった。願わくば作中にさりげなく説明を入れて欲しかったなー。
空気の読めないガキが「ヴォラヴェルントって何?」って尋ねて、王妃がぶっ飛び気味に説明するとかペピータがドキドキさせながら教えてやるとかすれば、雰囲気も壊れず俺もスッキリだったんだが・・・。今更遅いか。

まどろっこしい貴族の話とかが嫌いじゃなくて、ペネロペ・クルスが好みに合えばそれだけでも楽しめると思います。


総評 81点  ⊂ 二二二( ^ω^)二⊃ VOLAVERUNT!

2006/04/20

【Flick】ヒトラー ~最期の12日間~


ヒトラー ~最期の12日間~
(2005、ドイツ/イタリア)
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
原作:ヨアヒム・フェスト 『ヒトラー 最期の12日間』(岩波書店刊)
    トラウドゥル・ユンゲ 『私はヒトラーの秘書だった』(草思社刊)
出演:ブルーノ・ガンツ 
アレクサンドラ・マリア・ラーラ
ユリアーネ・ケーラー 






ヒトラーが地下の要塞で過ごした最期の12日間に焦点を当て、彼の個人秘書を務めたトラウドゥル・ユンゲの目を通して歴史的独裁者の知られざる側面を浮き彫りにしていく衝撃の実録ドラマ。監督は「es[エス]」のオリヴァー・ヒルシュビーゲル。主演は「ベルリン・天使の詩」「永遠と一日」のブルーノ・ガンツ。歴史家ヨアヒム・フェストの同名ノンフィクションとヒトラーの個人秘書ユンゲの回顧録を原作に、戦後最大のタブーに真正面から挑んだ問題作。 1942年、トラウドゥル・ユンゲは数人の候補の中からヒトラー総統の個人秘書に抜擢された。1945年4月20日、ベルリン。第二次大戦は佳境を迎え、ドイツ軍は連合軍に追い詰められつつあった。ヒトラーは身内や側近と共に首相官邸の地下要塞へ潜り、ユンゲもあとに続く。そこで彼女は、冷静さを失い狂人化していくヒトラーを目の当たりにするのだった。ベルリン市内も混乱を極め、民兵は武器も持たずに立ち向かい、戦争に参加しない市民は親衛隊に射殺されていく。そして側近たちも次々と逃亡する中、ヒトラーは敗北を認めず最終決戦を決意するが…。






陥落直前のベルリン、そしてヒトラーとその周辺の人々を描いたドラマ。
元秘書の回顧録をベースにしているらしいが、史実の再現や人物描写に細心の注意を払っているのが伝わってくる。その気遣いは痛々しいほどで、役者が、脚本家が、贖罪と表現の狭間で見えない鎖に縛られているようだ。
そして逆にそれが「現代においてドイツ人がナチスを語っているリアリティ」となっているが、この語り手の抑圧された息苦しさが、崩落寸前のナチス帝国の哀愁を生きたものにしているように思う。これが計算ならちょっとスゴイですね。


混乱と混迷の中で人々はそれぞれの立場で様々な選択をし、ダイナミックに動いていく。大きな時代のうねりの中で生き抜こうと、あるいは生き切ろうとする人々を正面から捉えつつ、その是非については極力触れずに観客に委ねようとする姿勢には潔く、非常に好感が持てる。


芸術性を意識した結果だろう、全体にやや綺麗過ぎる嫌いもあるが、その平面的な美しさが時代に抗うことの出来ない人間の無力さの暗喩のようで、味わい深さを醸し出している。

もしも歴史が違っていたら、ヒトラーは現代においてどのような評価を与えられているだろうか。
その時代に、その舞台に自分がいたならどういう行動を取っただろうか。取り得ただろうか。
スタッフロールを眺めているときに様々な思いが去来する、満足感のある映画でした。



総評 75点  (´ⅴ`)/ 人間、ヒトラー。敗戦国の首相。

2006/04/19

【Cooking】Cooking Award ~2005 Fall & Winter edition~


Cooking Award!
~2005 Fall & Winter edition~


第一位 白菜の豚鍋

第二位 トマトソースのロールキャベツ

第三位 赤ワイン煮の牛スジカレー


*エントリー資格 この秋冬に自ら作って食したもの
*審査員 keigochkasan
*審査方法 審査員による採点。味、見た目、コストパフォーマンスなどを総合的に完全に主観で採点する。 点数は無い。










と、いうわけで栄えある第一回Cooking Awardの受賞作品は白菜の豚鍋』に決定しました!
早速該当エントリにリンクを張ろうと思ったら、エントリが有りませんでした!よく調べたら1~3位、全部エントリがありませんでした!



なにやってんだ、俺。orz





とっくに消化したものに対していまさら記事書くのも面倒なので、ここに軽く書いて受賞記念とします。



なげやりだぁ・・


















2005-2006 fall & winter
COOKING AWARD 大賞受賞作
『白菜の豚鍋』



☆★この通りにすれば必ず幸せになれます!★☆


レシピスタート!

(食器)
土鍋        2個
箸          1膳
取り皿       1枚
ご飯食うなら茶碗

(食材)
白菜        1個
豚バラ肉    300g
酒        150ml
利尻昆布     1枚
ポン酢     好きなだけ
炊きたてご飯 欲しいだけ

*量は腹ペコの俺一人前です。
  記憶で適当に書いているので疑問に思ったら自らの感性を信じて下さい。




作り方スタート!

い)白菜、豚肉手ごろな大きさに切る。白菜は膨大な量になるが、ひるまない。

ろ)土鍋に昆布を敷き上に白菜を詰めてゆく。思い出したように豚肉も詰める。ギュウギュウになるまで詰める。多分1個じゃ入りきらないので2つに分ける。

は)酒をひたひたに注ぐ。適当でいい。

に)具を詰めた土鍋を一つ、フタをして中火にかける。ぐつぐついったら弱火にして15分煮る。入れすぎてフタが閉まんなきゃ上に置いておけばいい。そびえる白菜が頼もしい。

ほ)火から下ろし、お代わり用のもう一鍋を弱火で火にかけておく。これで続けざまに食える。人間の満腹中枢は15分で作動するので油断してはならない。

へ)やけどに注意して土鍋をテーブルへ移動。フタを逆さにして、その上に本体を置く。食後に予定が入っている場合はこの時点で全てキャンセルする。電話は手短に済ませる。

と)ポン酢に付け食す。あったかご飯とコレだけで充分の筈だが、物足りない酒乱は日本酒かビールを飲む。無ければ常温の白ワインでも(多分)可。

ち)幸せになるまで食べ続ける。



以上!

2006/04/17

【Flick】モーターサイクルダイアリーズ


モーターサイクルダイアリーズ
(2004、イギリス/アメリカ)

監督:ウォルター・サレス
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル
    ロドリゴ・デ・ラ・セルナ





のちに革命家としてその名を世界に轟かせることになるチェ・ゲバラが学生時代に行なった南米大陸縦断の旅を、彼が残した日記を基に映画化した青春ロード・ムービー。情熱的で正義心に溢れた青年が、親友と共に大自然を疾走し、様々な人々との出会いを通して人間的な成長を遂げる姿を活き活きと詩情豊かに綴る。主演は「天国の口、終りの楽園。」のガエル・ガルシア・ベルナル。監督は「セントラル・ステーション」のウォルター・サレス。なお本作でゲバラと旅を共にする友人アルベルト役を演じるロドリゴ・デ・ラ・セルナは、チェ・ゲバラとは“はとこ”の関係。 1952年、アルゼンチンのブエノスアイレス。喘息持ちながら理想に燃え好奇心溢れる23歳の医学生エルネストは7歳年上の陽気な友人アルベルトと南米大陸探検の旅に出た。アルゼンチンからパタゴニアへ、そしてアンデス山脈を越えてチリの海岸線に沿って進み、最終的に南米大陸の北端ベネズエラのカラカスを目指す。アルベルト所有のおんぼろバイク“ポデローサ号”を移動手段に、わずかな所持金と貧弱な装備だけの彼らにとって、それはあまりにも無鉄砲な計画。当然のように彼らの行く手には様々な困難が待ち受けていたが…。




見終わってどこか居心地の悪さを感じた。
何が悪いのか考えようとして上手く掴めなくて気付いた。意味が分からないのだ。

劇前後、「これは偉業の物語ではなく、大志を持った2人の若者の人生がしばし併走した記録である」みたいなエピグラフが流される。確かにその通りといえばそうなのだが、では何故2人の若者の併走の記録を映画化して発表したのか、その意図が理解できない。
描きたかったのはキューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの自伝の1ページなのだろうか?雄大なる南米大陸を旅した若者達の成長記なのだろうか? 目論見は分からないし、いずれにせよ失敗していると思う。自伝にしてはゲバラに魅力が無さ過ぎる。ロードムービーにしては淡白すぎる。

女性ならガエル君の笑顔で何とかなったかもしれないが、懐深い自然との折り合いや暗示的な英雄の芽吹きなどを期待して観た身としては「がっかりしたとした」と言わざるを得ない。


総評 47点  バ、バイクが!∑(゜д゜ )

2006/04/15

【Trash】Attn:Mr.aqiao

ネットの世界の片隅で、誰も見ていないのをいいことに適当なこと書いてたら知人に見つかってしまった。
何と言うか、洋式便器の上に跨ってウンコしてたらいきなりドアを開けられた気分だ。いや俺はちゃんと座ってするが、そのくらいリアクションに困ったということだ。
ふと思ったが、駅の階段なんかでスカートの後ろを押さえてる女子高生、彼女らも同じような気持ちなのではないだろうか。パンツがどうこう、エロオヤジがどうこうではなく、自分が確認できていないところを見られるのが恥ずかしいのではないだろうか。「恥知らずの十代に水平チョップ♪」などとミスチルも歌っていたが、どうしてどうしてまだまだ「恥」の文化は健在なのではないだろうか。もっともこのブログなどは彼女らのパンツと違い、見てもちっとも嬉しくないのだが。

中学時代、友達の家に遊びに行った時、家主のスキをみて部屋を漁ったら相当にマニアックなエロ本が出てきて笑えなかったことがある。そんな気持ちになっていないだろうか。
高校時代、友達の家に遊びに行ったら、友達が妹に殴られていた。その後お茶を持ってきた彼女と目を合わせられなかったわけだが、そんな気持ちになっていないだろうか?心配だ・・・。
大丈夫ですか、aqiaoさん?(ところでコレ、どういう意味ですか?)

まぁ、ID使いまわしな時点でちょっと調べりゃスグ分かることは知れ切っていたのだが、Bloggerという日本においてマイナーな環境が幸いしてか開設以来訪れるのは外人ばかり(=誰も読めない)という状況が続いていたので、いつの間にか自分の部屋のような気持ちで書きっ放しのやりたい放題という感じでした。これからは自分の庭ように一枚羽織って表に出るというか、ちょっとは人に見られることを意識して、推敲・校正を意識したいと・・・無理か?無理だな。めんどくさい。

やっぱりあんまり見ないで下さい (*´ェ`*)イヤン

【Flick】SAW


SAW 〈ソウ〉
(2004、アメリカ)

監督:ジェームズ・ワン
出演:ケイリー・エルウィズ
   ダニー・グローヴァー
   モニカ・ポッター
   リー・ワネル






オーストラリアの新鋭ジェームズ・ワンとリー・ワネルのコンビが撮り上げ、2004年のサンダンス映画祭で大きな話題を集めたサスペンス・ホラー。理由も分からぬまま限界を超えた状況設定の中に放り込まれた2人の男が追い詰められていく様と、それを背後で操る犯人の動機をめぐる謎をゲーム的要素を織り込みショッキングに描く。 薄汚れた広いバスルームで目を覚ました2人の男、ゴードンとアダム。彼らはそれぞれ対角線上の壁に足首を鎖で繋がれた状態でそこに閉じ込められていた。2人の間には拳銃で頭を撃ち抜かれた自殺死体が。ほかにはレコーダー、マイクロテープ、一発の銃弾、タバコ2本、着信専用携帯電話、そして2本のノコギリ。状況がまるで呑み込めず錯乱する2人に、「6時間以内に目の前の男を殺すか、2人とも死ぬかだ」というメッセージが告げられる…。その頃タップ刑事は“ジグソウ”を追っていた。ジグソウが仕掛ける残忍な“ゲーム”で次々と被害者が出ていたのだった…。(allcinemaより)






いわゆる”密室モノ”。
限られたスペース、時間、道具をパズルのように組み立てて観客を心理的トリックに導く手法は王道といっていい。完成度も高いのだが、途中で犯人の当たりがついてしまい、かつその動機付けが浅薄だったのが残念だ。 犯人像をもうちょっと作りこんであれば更に良かったと思う。
公開時、CUBEより怖いとかセブンよりうんたらとかプロモーションを掛けられていたようだが、その点においては全てを謎のまま封じ込んだCUBEの方が逆に完成度が高かったと言えるのではないだろうか。

(以下、ネタバレっぽい記述あり)
とはいえ、現代のミステリの敵「携帯電話」を拒絶せずに外界への小窓として使用して脱出への渇望を煽るところ、オープニングに”希望”を流してしまうところなど、ついグッと引き込まれるよく練られた部分もある。それだけにつくづく幼稚な犯人が憎い。何とかこいつに共感を呼び込めれば映画としての深みがずっと広がっただろうに・・・。
脚本についてもう一つ気になるのが、アダムのゲームは何だったのか?ということだ。どうも彼にだけ助かる道が提示されていなかったように思えるのだが・・・。何か見落としたかな?分かる方がいたら是非教えてくださいー。

最後に某掲示板で見た書き込みが面白かったので転載しておこうと思う。


『もし、俺がジクゾウだったら・・・・

アダムが便器に手を突っ込んだ時点で吹き出しておしまい』

全くその通り!見事!


総評 80点 (ΦωΦ)ノ ゲームオーバー!

2006/04/13

【Books】ゲーム理論を読みとく


『ゲーム理論を読みとく -戦略的理性の批判』
竹田 茂夫著
(2004、ちくま新書)




数学と物理学の天才フォン・ノイマンや映画「ビューティフル・マインド」で話題を呼んだジョン・ナッシュが創始したゲーム理論は、社会のどの分野でも見られる協調と対立の現象を数学的モデルで厳密に分析することを目指し、ビジネスの現場から国家戦略まで多くの分野で影響力を発揮してきた。しかしそうした考え方は大きな壁にぶつかっている。いまや現代社会科学の支配的パラダイムにまでなりつつある「戦略的思考」のエッセンスと広がりを描くと同時に、そこから脱出する道をさぐる。 (amazonより)




「ゲーム理論」、よく聞く言葉だが実態は全然分からない。「ゲーム」というからには楽しそうだが、「理論」というからには難しそうだ。難しくても楽しいことならば知らなければ損だ。しかし複雑な前提に立っているだろう理論をいきなり読んでも理解出来ようはずも無い。こういった時こそ新書の出番だ、と本屋に行ったらゲーム理論関係本盛りだくさん。いまが旬の理論です。

さて、俺はゲーム理論とは何ぞや、と知識の穴を埋めるべくこの本を購入したのだが、同じような方にはこの本はオススメしません。理論そのものに関する説明はほんのさわりだけで、後は筆者が目指す「批判」に向けてまっしぐらなので、ゲーム理論初学者が読むと却って偏見を持ってしまいそうですw

文体はとても読みやすく、意志を持って書いたのでしょう、平易な文体の中にも説得力が満ちています。いくつか主張に齟齬が生じているように思われるところもありましたし、筆者の道徳的信条が前面に出すぎて脱線気味の部分もあります。それでもすらすらと読めてしまう辺りに、この著者の頭脳の明晰さ、そして訴えたいことに対する思い入れが伺えます。

滞りなく読了し筆者の訴えも概ね理解したつもりですが、気が付いてみると「ゲーム理論とは何なのか」ということは分からないままでした。orz

次にこの話題に触れるときは「サルでも分かる」とは「スラスラ分かる」とか「グイグイ分かる」とか(これはメロだけか)、そういうものにしておこうかな。

2006/04/11

【Flick】父、帰る 〈Возвращение〉



父、帰る 〈Возвращение〉
(2004、ロシア)

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
撮影:ミハイル・クリチマン
出演:イワン・ドブロヌラヴォフ
    ウラジーミル・ガーリン
    コンスタンチン・ラヴロネンコ



2003年のヴェネチア国際映画祭で絶賛され最高賞の金獅子賞と新人監督賞をダブル受賞する快挙を果たしたアンドレイ・ズビャギンツェフ監督による静謐で衝撃的な人間ドラマ。12年ぶりに突然帰郷してきた父親を前に、事情も呑み込めず戸惑うばかりの兄弟の姿を、謎を秘めた緊張感溢れる語り口で綴り、親子の間の絆や葛藤を鮮やかに描き出す。なお、本作撮影終了後、ロケ地だった湖で兄アンドレイ役のウラジーミル・ガーリンが不慮の事故で溺死する不幸な出来事があった。 ロシアの片田舎。2人の兄弟、アンドレイとイワンは母とつつましくも幸せに暮らしていた。父親は12年前に家を出て行ったきり音信不通。兄弟は写真でしか父の顔を知らなかった。そんなある夏の日、父が突然家に帰ってきた。寡黙な父はこれまでのことを何も語ろうとはせず、母も事情を説明しようとはしない。兄弟の戸惑いをよそに、翌朝父は彼らを小旅行に連れ出す。道中、父は子どもたちに対し高圧的に振る舞う。そんな理不尽な接し方にも、父を慕い続ける兄に対し、弟のほうは徐々に反抗心を募らせていくのだった…。(allcinemaより)




語らない父、戸惑いながらも近づこうとする兄、反発しながらも離れ切れない弟。
最小の社会たる家庭において、父はどこまでも父であり、息子はどこまでも息子である。普遍的な「親子」というものを、生々しく描ききった作品だ。

昨今目に付く仲良し親子にはきっと理解されないかもしれないが、親とは何か、絆とは何を示すのか、社会の意義とは、誰が何を何故求めるのか?反抗期に深く考えたことのあるような方ならきっと心に染みるだろう。

心の奥に沈んだ錘のようなこの存在感は何なのか。
この作品は静かに暗示しようとしている。

素晴らしい作品です。



総評 91点 兄役、ウラジーミル・ガーリンのご冥福をお祈りいたします

2006/04/03

【Books】壬生義士伝


壬生義士伝
(2000、日本)
浅田次郎




旧幕府軍の敗退がほぼ決した鳥羽伏見の戦。大坂城からはすでに火の手が上がっていた。そんな夜更けに、満身創痍の侍、吉村貫一郎が北浜の南部藩蔵屋敷にたどり着いた。脱藩し、新選組隊士となった吉村に手を差し伸べるものはいない。旧友、大野次郎右衛門は冷酷に切腹を命じる―。壬生浪と呼ばれた新選組にあってただひとり「義」を貫いた吉村貫一郎の生涯。構想20年、著者初の時代小説。 「BOOK」データベースより)



まず最初に断っておきますが、僕は歴史モノはあまり好きではありません。なのでそういう人間が書いたレビューだということを念頭に大らかに判断していただけると有難いです。

さて、「壬生義士伝」。

浅田次郎の作品はいつもそうだが、語り手の描写が非常に上手く、訥々とまたは快活に言葉を飛ばすさまがありありと浮かんできます。そんな得意の語りのシークエンスを上手く構成に嵌め込んだところ、新撰組という幕末のスター軍団にありながら全くといっていいほど歴史に名を刻まなかった人物にスポットを当てたところなど、着想の部分からして大した小説だと思います。

しかし、いかんせんストーリーはどこまで本当なのか疑わしいところがあります。

これは歴史モノ全般に言えることで、そこにツッコミを入れるのは野暮なことかもなのかもしれませんが、綿密な調査によって描きあげた史実の裏を作品と書き出した、というよりはある人物をあるいは史実を好き勝手に作り上げたいがために綿密な調査を行ったのでは、と思ってしまうのです。いわば”アリバイ工作”です。

そしてそういった手法には実際に生きて死んだ人間への畏敬は感じられず、僕に嫌な感覚を呼び起こすのです。人間の営みを軽んじられたような、祖先の努力を嘲り笑われたような、そういった類の嫌悪感です。

(以下、ネタバレっぽいのもはいります)

この本を読む限り、吉村貫一郎が小説で描かれた通りの行動をとっていたとしても、実際に数十年後に桜庭さんや斉藤さんに話を聞きにいったら本に書かれていたような印象を語ってくれるとはとても思えないのです。

普遍的事実として、他人から見えるある人の人物像とは、その人間が何をしたかあるいは何を語ったかのみによって培われる筈です。そこに推察や自己投影が行われるのはもちろんですが、その時に本当は何を考えていたのかは決して分かりません。

我々読み手は親切にも筆者から主人公の胸の裡も明かされるので、寡黙な主人公の心情も理解できますが、実際に同じ舞台で共に生きてきた人がそうであってはいけません。ある人物が他人に極度に理解を示したのあれば、(現実では察しのいい人ということになる場合でも)作り物である小説ではそれは、その人物が小説よりもむしろ我々と同じ世界に属することを意味することなり、それに気付いてしまえばその世界は瓦解してしまうのです。これは時代劇で背景に電柱を探すような行動とは違うことを分かってもらいたいと思います。

もしかしたら、それでも野暮なことかもしれません。小うるさいだけかもしれません。宮本武蔵など歴史上の大人物でさえ明らかな史実に反することさえなければ、その心情を語り、行動を解説することが許されているだから、歴史の波に呑まれた田舎侍のリアリティなど瑣末なこととしてしまっていいのかもしれません。だけど僕にはそれは許されず、楽しむことが出来ませんでした。最初に断ったとおり、これはこの小説に関する感情ではなく歴史モノ全般に関する、僕の逃れられない情動です。

この感覚を超えた歴史モノと言えば映画ですが、バリー・リンドンがあります。「神の目線で映画を作る」を作ると評されたスタンリー・キューブリック監督の作品です。

過去の人物を主題として扱った作品の目的の一つに、時代を切り取って見せることがあるかと思いますが、これはその点においてハイレベルに成功した作品だと思います。このレビューに共感して頂ける方で未見の方がいらっしゃったら是非どうぞ。

話が大分脱線しました。

最後に僕の好きな浅田次郎作品を挙げておきます。

それは・・・

『プリズンホテル』!

やっぱりって感じですか?w

2006/04/01

【Flick】ミトン 〈Варежка〉

ミトン
(1967/1970/1972、ソ連)
監督:ロマン・カチャーノフ
脚本:ジャンナ・ヴィッテンゾン
美術:レオニード・シュワルツマン



 「チェブラーシカ」のロマン・カチャーノフ監督によって67年に製作されたかわいい人形アニメーション。犬を飼いたい小さな子供とその母親の何気ないやりとりをファンタジックに描く。全編に渡ってセリフはないものの、感情の機微を繊細に表現。2003年、本邦初公開に際し、同監督の「レター」「ママ」と同時上映。 犬を飼いたくて仕方ない小さな女の子アーニャ。彼女は、ほかの子供たちが飼い犬を散歩しながら雪の中で楽しそうに遊んでいる様子を、いつも家の窓からうらやましそうに見ていた。そんなある日、アーニャは友達から生まれたばかりの黒いライカ犬の子犬を譲り受ける。しかし、きれい好きの母親に飼うことを認めてもらえず、結局その子犬を手放すことに。しょんぼりと落ち込んだアーニャは、帰り道に赤い手袋を子犬に見立てて遊び始める。すると突然、その手袋が本当の子犬に生まれ変わるのだった。 (allcinemaより)




表題作『ミトン』他、全3作収録。(2003年の日本公開時も3作同時上映)
・ミトン (Варежка) 1967年
・ママ  (Мама) 1970年
・レター  (Письмо) 1972年
各々10分程のショートストーリー。

チェブラーシカがあんまり良かったので、同じスタッフによるこの作品のDVDを買ってみた。(借りたんじゃないところに注目!)
こちらはチェブラーシカより更に短く、しかも無声映画(音楽・効果音はある)ということで少し不安もあったのだが、その心配は圧倒的なクオリティの高さによって吹っ飛ばされた。
チェブラーシカの時も思ったのだが、人形の細かな仕草の人間臭さにはもの凄いものがある。
この作者は本当に人間が好きなんだなぁ、としみじみ思う。 その観察眼には恐ろしいものがある。
また、背景や小道具の色彩・デザインも秀逸なのだが、こういったもののセンスも普段からの観察や考察によって培われるのかもしれない。

人形と音楽とわずかな効果音だけで構成されたこれらの作品群は、そのシンプルさ故に時代をまたぎ、国境を超えて愛されるのだろう。
個人的にはチェブラーシカのモノ悲しさが大好きだが、単純な可愛らしさだけならこちら方が上かもしれない。

原題のロシア語が何故か英語に訳されて日本で公開されているのは、アート系として売り出した当時のプロモーションの一環なのだろうが、特に『ママ』の買い物のシーンなどはソ連で無いと成り立たないシークエンスなのでロシア(ソ連)作品であることをもう少し前面に出して欲しかったと思う。 これはハリウッドには逆立ちしたって作れない類の作品だろうと思うから。


総評 85点 (´∀`)ノ<Браво!!



*ちょっとした動画がみれるサイトも見つけたので貼っときますね。