2006/11/25

【Actualite】Ijime

日本の「Ijime」、ドイツで強い関心 連日報道

いじめによる自殺や自殺予告が日本で相次いでいる問題について、ドイツの主要メディアが強い関心を寄せ、連日報道を続けている。日本語の「Ijime」という用語もそのまま引用され、「イジメ」と発音されている。ドイツでは移民問題や貧富差などに基づく子どもの暴力や差別が増えており、学校教育のあり方に関する論議を日本と重ね合わせているようだ。
(中略)
ドイツでは子ども同士のいやがらせや暴力が問題となっているが、日本ではより陰湿な「仲間はずれ」という形で現れる、などと伝えた。
*asahi.com2006年11月25日08時00分記事より抜粋
 












以前にMottainai(モッタイナイ)を世界語に!という記事を書いたが、それ以外にも日本発の国際語は結構ある。Sushi,Tsunami,Mangaなどだが、どうやら次の有力候補はIJIMEのようだ。
もっともこれに対しては疑問もある。
日本語が国際語になるためには、その事象や概念自体にオリジナリティが必要だ。
寿司がSUSHIとして世界に広がり、ロシアのスパイがロンドンのスシバーで死ぬほどスシを食うようになったのも寿司がロシアにもロンドンにも無かったからだ。(未確認情報) もし同じようなものがあったなら「ジャパニーズなんたら」とか「インポンスキーかんたら」と呼ばれていたであろう。もしそうであったなら元スパイもサビとポロニウムを間違えることも無かったかもしれないと思うと心が痛む。 (未確認情報)

で、IJIME。
これって日本にしかないの?そんなことないだろー。 アングロサクソンだってネグロイドだっていびって叩いて仲間外れにしてんだろー。
と思って『仲間外れ』で和英ひいてみました。
すると・・・・・ありました!
『muggle』とか『wallflower 』なんてのがあったんだけど、もうちょっと正確な意味を掴むために『wallflower 』を今度は英和でひいてみたよ。そしたら

wallflower
【名-1】 壁の花◆ダンスパーティーで誰にも相手にされずに独りぼっちで壁際{かべぎわ}にいる人


つ、つらいよお。゚・(ノД`)ウワーン

でもまぁ、これはイジメというか単にモテないだけなので仕方無い気もする。いや待てよ。モテないヤツを「花」となどという隠語で呼ぶのは酷く陰湿な気も・・・。しないか。もちろんケースバイケースだけどジョークの範囲といえるだろう。ついでに『muggle』と『wallflower 』をドイツ語とフランス語に訳してみようと思ったがオンライン翻訳機では反応しなかった。

考えてみると日本には「村八分」なんて大規模かつ伝統的な仲間外れがあるくらいだから、そこらのひょっと出の外人なんかには真似できない「シカトの技術」を持っている人が多いのかもしれない。
そういえば確かZOOっていう短編集の中に不仲になった両親が息子の前でお互いが見えないフリをして暮らす、っていう話があった。父と話していると母から「何独り言言ってるの?」と問われ、母を見つめていると「ぼっー、と壁ばかり見てどうした?」と父に尋ねられる生活を続けた哀れな少年の心が壊れしまう話だ。 そんな異常な状況にも少年は適応していくのだが、その強引な手法がその小さな心を壊してしまうのだ。

こんな陰険なイジメを思いつく作者、乙一の年齢を調べてみたら1978年生まれとなっていた。俺より少し若いくらいだ。こんな年の作家がこんな陰気くさい設定を思いつくくらい強力に、僕らの中にはシカトの遺伝子が組み込まれているのかもしれない。
ちなみに『シカト』の語源は、花札に描かれている鹿がそっぽを向いていることから来たらしい。花札で鹿の札は十月の札でもあるので、鹿(しか)+十(とお)=しかとお→シカト!(・∀・) となったらしい。日本では鹿や札さえ無視するのである。

まぁそんな世知辛い世の中だけどぽんぽん死ぬこたーないのにな。とは思う。 集団自殺なんてどっかのネズミに任せときゃいいんだよ。放っておいたってどうせ死ぬんだから急ぐことはないやな。イジメ?んなもん無視すりゃいいいんだよ。いじめっ子だろうがいじめられっ子だろうが好きな奴には話し掛けて、嫌いな奴にはそれこそシカトしてらゃいいんだよ。そうすりゃいずれ仲間が出来て大往生できそうな気がするけどなぁ。まぁその前に死んじゃうかもしれないけど、運が悪い奴ってのはいつでもどこでもいるもんで、それは仕方ないよな。 命なんてそんなもんだよな。うん。


・・・まとまらないのでこの辺で。じゃ!

2006/11/23

【Trash】益子焼

栃木県は益子市、益子焼の産地(っていうのか?)に行ってきました。
ちょっとした知り合い関係の窯元なので倉庫にも入れてもらえ、多くの作品を見ることができました。
静かな小屋の中に鈍い光を湛えた陶器が並ぶ様を眺めていると、その光に時間が吸収されていくような感覚におちいります。ハッと我に返ると時間が過ぎている。目の前には変わらぬ光を放つ陶器が並んでいる。そんなことを繰り返して時間が過ぎてゆくのです。陶器達は、そうして鑑賞者の時間を奪うことによって、ここの主は自分達なのだ、と声も無く主張しているようです。

と、そんな静かな妄想に耽らせてくれる素晴らしい益子焼ですが、最近は大変厳しい状況にあり火を落としてしまった窯も少なくないようです。
益子の町は、益子焼窯元共販センターという建物を中心に電線の埋め込まれた綺麗な坂道をメインストリートとしてお土産屋、蕎麦屋、喫茶店が立ち並び、当日は雨模様にも関わらず行きかう人も多く、共販センターの駐車場は満車で数台の車が待っている状況も珍しくありませんでした。ナンバーを見る限りでは、東京や千葉など遠方からの来訪も多いようです。
町はだいぶ賑わっているようでしたが?と訊くと、それ以上に窯が増えすぎて供給過剰を起こしてしまっているとのことでした。だぶついた商品がお互いの値を下げ、安価な商品群が高価な品の買い控えを引き起こし、売れるのは安物(=薄利)だけ、売っても売っても生活は楽にならないという負のスパイラルに巻き込まれているようです。一見ブランド化に成功したかに見える焼き物の里がこうした事態に陥ったのは、製作者と消費者の意識の違いにあるのかもしれません。
製作者が自信を持って高値を付けた傑作の価値は消費者には伝わらず、隣に並ぶ廉価品に手を伸ばす。長引く不況により消費者の購買力が減っているという見方も出来そうですが、遠路はるばる耐久消費財を求めてやってきたお客さんは購買力・購入意欲は強いと見ていいのではないでしょうか。では何故彼らが廉価品をばかりを求めるかと考えると、それで充分だから、と考えていると思え、更に一歩進めて考えると、彼らは「益子焼」を買いに来たのであり、「いい焼き物」を求めてきたのではないのではないか、という推論が導き出せます。つまり今、益子を襲う不況の波は「益子焼」がブランド化に成功したことの証左でもあるという皮肉な結論を導き出すことも出来るのです。悲劇。
道を覆う飲食・雑貨店も、焼き物の販売だけでは食べて行けなくなった窯元が副業として始めたもののようです。正に本末転倒。ブランドと商品の乖離、そして逆転はいつから始まったのでしょうか。
昨今流行のコラボ品、ダブルネームの商品など、ブランド主体の販売戦略というのが個人的に好きではなかったのですが、これは思ったより大きな潮流となって各方面に影響を及ぼしているようです。


ところで、僕が訪ねた窯元は庭に烏骨鶏を飼っていました。これは副業というより自分達が美味い卵を食べたいからのようですが、茶色い烏骨鶏の群れの中に何故か一羽だけ白いのがいました。あれは?と尋ねると、「どこからか飛んできた野良だ」とのこと。いやー、犬や猫ならともかく「野良鶏」とは。しかもそれを平然と飼い続けるとは。
懐の深い町、益子でした。

【Books】東野 圭吾


先日読んだ「むかし僕が死んだ家」が非常に面白かったので、近所のブックオフに行って東野圭吾をあるだけ買ってきました。っていっても4冊しかなかったけどね。ハードカバーはあったかも知らんけど好きじゃないので。
この作家は多筆家なばかりでなく、本格ミステリから涙そうそうのしっとり物語まで手掛ける多才家でもあるらしいので同じ作家を連続で読むことによる飽きや慣れは気にしないでもよさそうです。

吹き付ける風が冷たくなってきた今日この頃。本と酒でぬくぬくと過ごす我が家も悪くないものです。

2006/11/13

【Books】むかし僕が死んだ家


むかし僕が死んだ家
東野 圭吾


簡単な漢字で構成された名前からか、多作家だからか、なんとなく軽い作家のイメージを持って読んでいなかった東野 圭吾。

”かまいたちの夜”で俺の微弱なミステリ魂が刺激されたので読んでみました。

結論から言うと、

スゲー面白い。

物語の舞台は山の中に立つ「灰色の家」。登場人物は「私」と私の昔の恋人の二人。

打ち捨てられた洋館の中で二人が探すものは「過去の記憶」。

ひんやりととした空気。二人の距離感。静けさ。既視感。

時の止まった洋館の中に包ませてくれる描写に加え、張り巡らされた伏線の数々。ミステリを読むこと自体が久しぶりだという個人的事情を差し引いても、これほど数多く精緻に張られた伏線には大きな驚きがある。

ぐいぐい引き込まれ、ページを捲ることが楽しくて同時に終わりが近付いていくことにも寂しさを覚えつつ、読むことが止められない。本当に久しぶりに夢中で読んだ。

読書から離れている人、元々読まない人にもオススメできる傑作です。

2006/11/09

【Game】かまいたちの夜x3 攻略日記7 おしまい

金のしおりゲット!!



遂にかまいたちの夜x3、終了です。


まぁ、全く不満が無いわけではないけれど、初代かまいたちの夜に興奮して、2に失望した俺みたいな人はやっておいて損はないですよ。

というかそういう人のために作られているような・・・。


一番悪かったところは、ピンクのしおりの物語のグラフィックがとてつもなくオタクくさいこと。
一番良かったところは、真のエンディングで、これで完結でいいと納得できたことです。あえて言えば透が最後が良かったけどね。



おつかれさんしたッ!(`д´)ヾ

2006/11/08

【Books】僕のなかの壊れていない部分

僕のなかの壊れていない部分
白石一文
光文社


週末に久方ぶりに会った友人は本好きな人間だった。
読者家というよりは本好きといった方がしっくりくるタイプで、フルタイムの人材派遣業に従事しながら、今でも年間150冊は読むという。それも同じ本を3回くらいは当たり前、気に入ったものにいたっては、「さぁ・・・?50回くらいは読んだんじゃない?」という ”本の虫” だ。 学生時代は本屋でバイトしていたのだが、さぞかし幸せだったことだろう。
今は?何を読んでいるの?と焼き鳥をくわえながら訊くと、2冊平行して読んでいるといいカバンから文庫を取り出した。京極夏彦の分厚いのと、掲題作「僕の中の壊れていない部分」だった。

翌日、久しぶりの再会を記念して1冊読もうと本屋に出向き、夏彦さんは厚苦しいので「僕のなかの壊れていない部分」を購入した。


タイトルからしてどっぷり内向的な作品であろう。息苦しいほどの心理描写が楽しめるに違いない。
友人が言うには、この白石一文という作家は一般での知名度に比して書店での扱いが大きいのがとか。いわく、「やっぱり『本屋に好かれる本』っていうのはあって、たとえ無名の作家のデビュー作でもあちこちの本屋で平積みされている、ってのはよくあることなんだよね。本屋ってのは当然たくさんの本を読むわけで、そういう人たちはやっぱり批評眼が似てくるのか選ぶ本も同じなんだよね。面白いよね。」ってことで、この白石一文ってひとは『本屋に好かれる作家』であったためそ大きく扱われているそうな。

『本屋に好かれる本』といえば、『天国の本屋』が思い出される。
なんでもどっかの本屋さんが「とにかくいい本だから読んでみて!」と知人に熱烈に薦めてたのを皮切りに口コミでベストセラーになったとかで、その作品性だけでなく既存出版社の告知・広告のあり方についての論議を呼んだことも話題になっていた。俺もいそいそを本屋に向かい、しげしげと読んでみたわけだが、ぬるい童話といった印象しか受けなかった。ヒロインのユイの瞳だけは見てみたいと思える描写だったが、それは単に俺が外人好きだからかもしれない。

・・・・話が危ういほうに逸れてしまったが、言いたかったことは、本屋の評判≠俺の好みである場合もあるということで、「僕のなかの~」に対しても期待しないほうがいいかも、という懐疑的な気持ちが沸いてしまい、その気持ちを胸に置いたまま読んだということを前提として書いておきたい、ということです。



で、レビュー。というほどちゃんと書かないな。感想。


幼少期の体験により抜群の記憶力と人間に対する不信を抱えて生きる主人公、直人。

経済的・教育的に恵まれた環境で育ってきて。誰もが振り向く美貌を持つ「マトモな」女、枝里子。

この二人のお互いに対する理解・感情を軸に、変態人妻や家出少女、厭世的美少年が揺れ動きながら生きていく様子を描いたドラマ。

主人公の人間不信には幼少期の原体験という理由が与えられているが、確保した社会的地位や獲得した信頼からすると人間像としてのバランスがいかにも悪い。内部に破綻を抱えて生きる人間を描いたというよりは、作者がトラウマを逃げ口上に心理の深淵に迫ることをさぼったのではないかという印象を受けた。
これが決定的な違和感を生み、こんな主人公を慕ってくる人々は阿呆ではないかということになり、愛に包まれた人間の筈のヒロインが浅薄な幸せのカタチを求める思考停止の阿呆女に見え、家出少女は絵本の読みすぎで茫然自失の甘ちゃんに見え、美少年は自意識過剰で努力と能力の足りない革命家志望に見えるであった。
ヒロインを除く全員が、自分の闇の原因を外に求めるヘタレどもで、その毒波にまみれた頭で遠近感の狂った思考を続けるのだ。もっとも、俺にヒロインが理解できないのはオンナゴコロが分かっていないからかもしれないが・・・。


ま、要するにイラつく小説であった訳で、なんでこんなレビューをわざわざ書いたかというと、色々な人に読んでもらいたかったからである。
この小説が出版され、平積みされたいたという現実は、自分には理解できない心の琴線というものが確かに存在するということの証左でもあり、理解できないものは理解したいのが心情であり、求ム解説。という訳だ。


長々読んでくれてありがとうm(__)m

本読んで面白かった人がいれば是非コメントください。