栃木県は益子市、益子焼の産地(っていうのか?)に行ってきました。
ちょっとした知り合い関係の窯元なので倉庫にも入れてもらえ、多くの作品を見ることができました。
静かな小屋の中に鈍い光を湛えた陶器が並ぶ様を眺めていると、その光に時間が吸収されていくような感覚におちいります。ハッと我に返ると時間が過ぎている。目の前には変わらぬ光を放つ陶器が並んでいる。そんなことを繰り返して時間が過ぎてゆくのです。陶器達は、そうして鑑賞者の時間を奪うことによって、ここの主は自分達なのだ、と声も無く主張しているようです。
と、そんな静かな妄想に耽らせてくれる素晴らしい益子焼ですが、最近は大変厳しい状況にあり火を落としてしまった窯も少なくないようです。
益子の町は、益子焼窯元共販センターという建物を中心に電線の埋め込まれた綺麗な坂道をメインストリートとしてお土産屋、蕎麦屋、喫茶店が立ち並び、当日は雨模様にも関わらず行きかう人も多く、共販センターの駐車場は満車で数台の車が待っている状況も珍しくありませんでした。ナンバーを見る限りでは、東京や千葉など遠方からの来訪も多いようです。
町はだいぶ賑わっているようでしたが?と訊くと、それ以上に窯が増えすぎて供給過剰を起こしてしまっているとのことでした。だぶついた商品がお互いの値を下げ、安価な商品群が高価な品の買い控えを引き起こし、売れるのは安物(=薄利)だけ、売っても売っても生活は楽にならないという負のスパイラルに巻き込まれているようです。一見ブランド化に成功したかに見える焼き物の里がこうした事態に陥ったのは、製作者と消費者の意識の違いにあるのかもしれません。
製作者が自信を持って高値を付けた傑作の価値は消費者には伝わらず、隣に並ぶ廉価品に手を伸ばす。長引く不況により消費者の購買力が減っているという見方も出来そうですが、遠路はるばる耐久消費財を求めてやってきたお客さんは購買力・購入意欲は強いと見ていいのではないでしょうか。では何故彼らが廉価品をばかりを求めるかと考えると、それで充分だから、と考えていると思え、更に一歩進めて考えると、彼らは「益子焼」を買いに来たのであり、「いい焼き物」を求めてきたのではないのではないか、という推論が導き出せます。つまり今、益子を襲う不況の波は「益子焼」がブランド化に成功したことの証左でもあるという皮肉な結論を導き出すことも出来るのです。悲劇。
道を覆う飲食・雑貨店も、焼き物の販売だけでは食べて行けなくなった窯元が副業として始めたもののようです。正に本末転倒。ブランドと商品の乖離、そして逆転はいつから始まったのでしょうか。
昨今流行のコラボ品、ダブルネームの商品など、ブランド主体の販売戦略というのが個人的に好きではなかったのですが、これは思ったより大きな潮流となって各方面に影響を及ぼしているようです。
ところで、僕が訪ねた窯元は庭に烏骨鶏を飼っていました。これは副業というより自分達が美味い卵を食べたいからのようですが、茶色い烏骨鶏の群れの中に何故か一羽だけ白いのがいました。あれは?と尋ねると、「どこからか飛んできた野良だ」とのこと。いやー、犬や猫ならともかく「野良鶏」とは。しかもそれを平然と飼い続けるとは。
懐の深い町、益子でした。
2006/11/23
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