2006/12/26
【Books】どちらかが彼女を殺した
どちらかが彼女を殺した
東野 圭吾
最愛の妹が偽装を施され殺害された。愛知県警豊橋署に勤務する兄・和泉康正は独自の“現場検証”の結果、容疑者を二人に絞り込む。一人は妹の親友。もう一人は、かつての恋人。妹の復讐に燃え真犯人に肉迫する兄、その前に立ちはだかる練馬署の加賀刑事。殺したのは男か?女か?究極の「推理」小説。
いやー、まいったよ。
最近推理小説ばっか読んでたから少し飽きちゃってて、面倒になると最後まで推理せずに読んじゃうこともあったんだけど、この本犯人教えてくれねーんだよ。とんでもないよ。ぼーっと読んでたから何があったのか分からなかったよ。
こうなると解かない訳にはいかないよなー、ってんで本閉じて色々考えてみようと思ったんだけど、もうすっかり犯人教えてもらうつもりだったから内容よく覚えてないんだよ!今読み終わったとこなのに。
いやー、ビックリしたね。自分のいい加減ぶりに。ここまで集中していなかったとは。
結局最初から読み直して推理しました。
が、なんか書いているうちに違う考えが出てきたりしてまとまりませんでした。
俺の推理はこちら↓ *白で書いてあるので反転して読んでね。
結局解説も読んだので犯人は分かっているつもりだけど、湧き出た疑問を片付けられない(><)
誰か教えて~!!
さて推理。
まず、考えるべきはゴミ箱の中身だよね。
これによって康正と加賀刑事は犯人を特定できることになる重要なキーであることは作中に明記されているし。
見落としがなければゴミ箱の中に入っているのは「佳世子が破いた薬の袋」だけであるはず。
また、「その瞬間を見ていた」発言からも、「これで鑑識に出す手間が省けたな」発言からもゴミ箱の中身が薬袋であり、重要なのはその袋を破いた利き手であることが類推される。
ここで園子の部屋に残されていた薬袋の状態によって導かれる状況を考えてみる。
2つの袋のを破いたのが―
1.左手・左手だった場合
とりあえず右利きと思われる潤一は除外される。2つのうち一つは佳世子が破いていたとしても、2つ目が佳世子による再犯行の際の物か、絶望に暮れた園子自身によるものなのか断定はできない。
2.左手・右手だった場合
とりあえず一つは潤一が破ったものである。もうひとつは分からない。
一つ目が佳世子によるものだとすると、2つ目は潤一で彼が真犯人ということになるのだが、逆の場合は1.同様判断できなくなってしまう。
3.右手・右手だった場合
この場合のみ自殺が否定される。加賀が他殺と言い切っている理由も、薬袋がこの状況であったからだと思われる。
よって状況は3.「袋は両方とも右手で破かれていた」であったと推測できる。
ここから犯人が分かる、といういうことであれば容疑者二人の利き手は反対でなければならない。 そして右利きの方が犯人だということだ。
と、ここまで考えた。
しかし、これから先が分からない!
あんまり分からないから解説も見たけど、納得いかない!
解説によると、
1.加賀刑事が殺人と断定している → 薬袋の状況は前述の通り、両方右手で破られている
2.絆創膏は本棚の上にあるため、小柄な佳世子が使うのは不自然 → 潤一が使った → 感電死の準備をしたのは潤一 → コードを切ったのも潤一 → コードは右利きの人間に切られていた → 潤一は右利き
ということで、犯人は佃 潤一である!(・Α・)9m ドーン!!
明示はされてないけど上記が解説が示す真相だと思う。「文庫化に当たって、佳世子がどちらの手で袋を破いたのかが伏せられていることにより難易度が上がっている」とされていることからもコレで間違いないとは思うんだけど、本当にコレでいいのかなぁ・・・。
以下に俺の推理に続きを描くと同時に、解説が提示する答えに対する反論を試みる。
推理は「どちらかの利き手が分かればいい、というところまでいったけど特定できない!」というところまでいった。
作品中の2人の利き腕に対する描写を探すと、
佳世子には、園子の葬式の記帳を右手で行っている描写がある。が、園子同様強制されている可能性があるので断定する材料にはならない。
潤一に関してははそういった記述は見当たらない。
が、論理的思考で、感電死の準備をした犯人が潤一なので、コードをカットした人物=潤一は右利き、という答えが出されている。しかし、これには反論がある。
潤一が感電死の準備をしたとされる論拠は、解説にもあった「本棚上部に置かれた薬箱の中の絆創膏を使うには佳世子の身長が低すぎる」っていうものだと思うけど、これは弱すぎる。
所詮本棚だ。ちょっと高い位置にあるだけで不可能な訳じゃない。サイドテーブルに足をかけるなりすれば簡単に取れるはずだ。
どちらが右利きなのかこの時点では断定できないのではないだろうか?
絆創膏に関してはさらに違う疑問もある。
潤一が絆創膏を使うのも不自然だってことだ。
康正が「犯人がやったと思われる行動、自らの動作で再現してみた」際、寝室に入って周囲を見渡したとき「本棚の中程に置いてある、ガムテープとセロハンテープに向けられた」との記述がある(p.126) 見渡せば目に入るテープ類を無視して上段の薬箱の中の絆創膏を使う理由が無い。これに対する答えは見当たらない。結局、この理由は分からない。
ちょっと方向性は変えて、潤一が絆創膏を使ったのがたまたまとすれば、これは佳世子が真犯人で潤一に罪を着せるためにあえて使ったという見方も出来るような気がする。
つまり供述通り最初に絆創膏でコードをセットしたのが潤一とすれば、帰る前には当然それは剥がしたと考えられるが、残って改めて園子を殺した佳世子が、潤一に罪を着せるためにあえてその絆創膏を再利用した、ということも考えられる。絆創膏を使うのは潤一じゃなければより不自然なことに気づきあえて残した、ってわけだ。これなら「何故か絆創膏が取れかかっていた」っていう未解決な謎も、再利用だから粘着力が落ちていたってことで説明できる。
さらに相手に罪を着せる偽装工作という考えを適用すれば、袋の破き方も同様に相手を嵌める罠とみることも出来る。
まず解説の通り、佳世子が左利き、潤一が右利きとする。で、一枚目の袋は供述通り潤一が破いたとしても、2枚目の袋は園子が左利きであることを知っていた佳世子がわざと右手で破いておいたことも考えられる。その場合、カレンダーも右利きのやりかたで切ってあるのだろう。そうすれば万一事件が発覚しても左利きである彼女は有利な立場につける。
コードのカットも同様にいけそうだけど、彼女が一人で感電死の準備をしたってのは考えづらいから、その場合は2人はやはり共犯だった、てのはどうだろう。
2人は共犯というセンも否定できないんじゃないかな?小説の細部は忘れてるので整合性に問題があるかもしれないが、殺害現場に2人が鉢合わせした、というのが事実なら、2人は共犯であることも出来るんじゃないかな?その場合、グラスを片付けなかった理由が問題になるけど、先の袋と同じく事件が発覚することを想定して佳世子が仕掛けたという見方もできる。佳世子は車で現場にやってきて土足で部屋に上がってしまっている。周到なアリバイ工作を準備していた潤一を前にして、もし事件が発覚したなら逮捕されるのは私で、彼だけはまんまと逃れるのではないか、と考え、自分の身を守るため、少なくとも彼を逃がさないために一片のスキを作った、というのもアリじゃないか?ダメか?共犯なら、ワインを買って持っていったのは二人だということもいうことになるので、ボトルが空だったのも3人だからいっぱい飲んだだけ、ってことで片付けられる。実はグラスは3つあって、睡眠薬を注いだ園子のグラスは持ち帰って破棄されたって可能性だ。これだと殺害の翌日に二人で現場を訪れたって証言からするとちと厳しいが、なんとかなりそうな気がする。
思いつくままに長文書いてみたけど、我ながら検証する気にならん・・・。もう頭痛い(゜∀。)
当面晒しておくので、検証・反論是非お願いしますm(__)m
<ついでに気になる部分>
・最初に康生が部屋に入ったとき、サイドテーブル下に電話が転がっていたはず。何アレ?
おかしいところがあったら是非指摘してください!
よろしくお願いしますm(__)m
ラベル:
本
2006/12/12
【actualite】FIFA Club World Cup presented by TOYOTA
FIFA Club World Cup presented by TOYOTAを観戦してきた。
つっても
全北(韓国:アジア代表) vs クラブ・アメリカ(メキシコ:北米代表)というマイナー試合。
クラブも選手もさっぱり知らないが、チケットを貰ったので行ってきました。
バックスタンド側の2階席だったんだけど、サッカーを横から観るのは久しぶりで面白かったです。たまに観にいくJリーグではいつもゴール裏付近で、応援の熱気があるのはいいけど”サッカー観戦”という観点で考えると全くダメなんだよね。オフサイドなんか全然分からんし。
試合はトーナメントらしく両チームとも無理はしない展開。全北はクロスの精度が悪く、C.アメリカのミス絡みでしかチャンスを作れない。対するC.アメリカは浮き玉を多用した小さいパス交換で中央突破を図るも体格で勝る全北DFを崩しきることは出来ない。
試合が動いたのは後半34分。右サイドからのカバニャスのグラウンダークロスをR・ロハスが倒れこみながらも何とか当ててゴールに流し込む。バックスタンド側からは倒れたロハスの体が邪魔で転がるボールが見えないという、超泥臭いゴールで均衡は破れた。
先制を許した全北は当然点を取りに2選手を投入するが、却ってバランスを崩しC.アメリカに決定的な形を何回も作られてしまう。この辺が試合としては一番面白かったかな。攻守の切り替えが早い試合はやはり見ていて楽しいものです。
個人的にはブランコの動きが良かったと思います。視野の広さ、判断の早さ、確かなテクニック、紛れも無く世界レベルですな。
あと、熱燗でも売ってくれれば完璧だったな。寒かった・・・。
つっても
全北(韓国:アジア代表) vs クラブ・アメリカ(メキシコ:北米代表)というマイナー試合。
クラブも選手もさっぱり知らないが、チケットを貰ったので行ってきました。
バックスタンド側の2階席だったんだけど、サッカーを横から観るのは久しぶりで面白かったです。たまに観にいくJリーグではいつもゴール裏付近で、応援の熱気があるのはいいけど”サッカー観戦”という観点で考えると全くダメなんだよね。オフサイドなんか全然分からんし。
試合はトーナメントらしく両チームとも無理はしない展開。全北はクロスの精度が悪く、C.アメリカのミス絡みでしかチャンスを作れない。対するC.アメリカは浮き玉を多用した小さいパス交換で中央突破を図るも体格で勝る全北DFを崩しきることは出来ない。
試合が動いたのは後半34分。右サイドからのカバニャスのグラウンダークロスをR・ロハスが倒れこみながらも何とか当ててゴールに流し込む。バックスタンド側からは倒れたロハスの体が邪魔で転がるボールが見えないという、超泥臭いゴールで均衡は破れた。
先制を許した全北は当然点を取りに2選手を投入するが、却ってバランスを崩しC.アメリカに決定的な形を何回も作られてしまう。この辺が試合としては一番面白かったかな。攻守の切り替えが早い試合はやはり見ていて楽しいものです。
個人的にはブランコの動きが良かったと思います。視野の広さ、判断の早さ、確かなテクニック、紛れも無く世界レベルですな。
あと、熱燗でも売ってくれれば完璧だったな。寒かった・・・。
ラベル:
日記
2006/12/11
【Trash】Vow's Bar 中野店3周年記念プレイベント
夜のとばりに、南無阿弥陀仏。
東京・中野に現役のお坊さんがシェーカーを振るう異色バーがある。
店の名前はそのままズバリ「坊主バー」。それではカッコつかないと思ったのか、一応「Vow's Bar」をいう字が当てられている。"Vow"という単語は”誓い”とか”誓約”という意味。宗教的理由などから独身生活を誓うことを”vow celibacy
”といい、その辺にも引っ掛けたのかもしれない。
そのVow's Bar中野店が3周年ということで、12/9に記念プレイベントが行われましたー。
VOW'S SEMINOR シリーズ
第1回 世の中、こんなんで ええんかい?!
「こんなん」というのはどんなんなんだろう?
繁華街で酒を売るブッディストに今の世の中はどう映っているだろう?
興味をそそられ参加してきました。
会場は東中野駅近く、東京工科専門学校内のテラハウス 地下ホール。
収容人数300人ほどと思われるホールで、当日の参加者は150人くらいかな。
会場や出演者の写真は撮ったんだけど、ネットへの公開は禁止ということで画像無しのレポになります。
イベントは3部構成。
1部は世の中の諸問題をピックアップし、その専門家たちに解説をお願いするというもの。
・憲法9条改正問題
・自殺問題
・ホームレス問題
・いじめ問題
がピックアップされました。
ホームレス問題を取り上げた団体は実際にホームレスの方を連れてきたり、活動に対する仏教界の協力の不充分さを訴えたりしていて中々面白かったですが、他の問題は通り一遍の解説で終わってちゃってたな。
2部は、各宗教界の関係者が一同に会し、1部で取り上げた問題を中心にディスカッションするというもの。
坊主マスターのマスターいわく『ミニ・宗教サミット』だ、ということで、飛び交う罵声、入り混じる各言語、演壇の中央で坊主が念仏を唱えればそれに向かって神主がお払いをして、それを見たキリシタンは十字を切りつつ哀れな子羊のために祈り、イスラムの方は時間が来たのでメッカに向けて伏せ祈る。触発された観衆は立ち上がり発言のためのマイクを奪いあうといった熱くシュールな大激論を期待していましたが、実際には一部の問題にありきたりな問題提起をしただけで終わりました。 なんかしょんぼりです。
原因の一つは準備不足でしょう。
当日は各宗教宗派が集うとのことだったのですが、当日になってイスラム教代表が欠席、キリスト教の代表の方が交代、偶然会場に来ていたタイ仏教の方が引っ張り出せれたりドタバタあり、これで満足な論議を要求するほうが酷というものです。
最終的に、キリスト教、古神道、タイ仏教(テーラヴァーダ仏教)、日本の仏教(浄土真宗、禅宗、時宗、曹洞宗、日本山妙法寺)の方々がパネラーとなりましたが、多数派の仏教徒からは積極的な発言もなく、急遽駆り出されたキリスト教、タイ仏教の2者にも劣る存在感でした。「我々は人を救いません」と早々に宣言した神主などもいて、一体何をしたくて参加してきたのかと思います。
他にテーマの散逸も原因に挙げられると思います。
一部でピックアップした問題を端緒に通底する構造をあぶり出し、問題提起と解決法について各界の見解を示していく、というのが理想なのではないかと思いますが、実際には各パネラーに諸問題に対する印象を尋ねただけで掘り下げることも無く終わってしまい、これで議論が盛り上がるわけもありません。パネラーや聴衆の力量も不足していたのかもしれませんが、運営の技量も問題でしょう。ぶっちゃけこれで金を取ろうとは世の中舐めてます。
3部は、歌や詩の朗読という見世物系。
Kobaryuという平井堅の替え歌を歌う歌手が出てきて、彼はクオリティ高すw 面白かったです。
イベント後には希望者による忘年会が催されましたが、用事があったため失礼しました。
来年4月に本イベントがあるらしいですが、次もサミット的なことをするならば是非具体論を提示して欲しいと思います。それが無い限り対立軸もボケたままで、今回のような腰の引けた「宗教懇親会」に終わるのではないでしょうか。
宗教色のあるイベントに参加したのは初めてなので非常に期待していたのですが、終わってみて「宗教家は世の中の事なんか考えてないんじゃないか?」という疑問を抱いてしまいました。
”草の根宗教サミット”という着想はすごく魅力的なので、なんとか実のあるものになっていって欲しいと思います。
今後に期待、かな?
そういえば当日はフジテレビのスーパーニュースが取材に来ていたようです。
マスコミはあれをどのように報道する(した)のかちょっと興味がありますね。まぁまず観ないと思うけど。
チャオ!
ラベル:
日記
2006/12/07
【Trash】オープンカフェの社会実験@新宿
新宿で「オープンカフェの社会実験」をやっていた。
歌舞伎町の方から新宿駅方面へ向かう途中、MOA4番街で見つけました。
赤い看板掲げて頑張ってます。
全景はこんな感じ。
ちょっと暗いけど雰囲気は分かると思います。
路地の反対端にも同じようにテーブルとイスが並べられていて、昼はテーブルの上に赤いパラソルが差されるようです。
ちなみにこの実験は8/2-12/30までの期間限定のようです。
奥の「MOA 4 CAFE」でコーヒーやらビールやら売ってます。俺はカフェオレを(確か350円)買いましたが、紙コップに入った取り立てて特徴の無いものでした。ちょっと高いような気がしますが、それよりも店員のやる気の無さが気になりました。ろくに挨拶もしません。
まぁ新宿らしいっちゃらしいんですが、そういうイメージを崩したくて実験してるんじゃないのかな?
MOA4番外にはバーニーズニューヨークがあり、今はこんなお洒落なディスプレイで彩られていました。恋人達にはぴったりです。
クリスマスシーズンのイメージカラーはやっぱり赤、温もりの色です。赤には体温や血圧を上昇させて積極的な行動を促すという効果があるので、これによって購買を促しているという説もあるようです。
僕?独り者には色なんて関係ありません。購買の主な基準は価格です。
ヨーロッパの町並みなどをみると、ちょっとした広場があることが多いですよね。丸い広場の縁に沿ってベンチが置かれていて、疲れたら一息入れられるようになっている。あれ、とてもいいと思います。
日本でも池袋西口などに似たようなのはありますが、もっともっと増えて欲しいと思っていたのでこの実験は成功してほしいですね。ちょい飲み物が高い気もしますが別に自販機で買ってきても怒られることはなさそうなんで良しとしましょう。
給料は上がらんしボーナスは減るし、景気回復はどこで行われてるんだ!と思うときもありますが、こういった試みを見ると日本も「豊か」になっているんだな。と思います。
【蛇足】この写真はpicasa でアップしてみましたが、何枚かは失敗したようでアップされていません。
Bloggerのアップ機能は失敗ばかりだし、嫌になってきました。また乗り換えようかな・・。
bogger使ってる人、写真ちゃんとアップ出来てますか??
ラベル:
時事ネタ
【Books】東野圭吾を引き続き読む
むかし僕が死んだ家が面白かったのでそのまま他の作品を読んでいます。
今までに読んだのは、
むかし僕が死んだ家
変身
手紙
分身
超・殺人事件
白夜行
放課後
宿命
鳥人計画
探偵倶楽部
11文字の殺人
の11冊。ちなみに上から面白かった順。
超・殺人事件は短編集で、超理系殺人事件と超高齢化社会殺人事件が面白い。ただ、くだらないので低俗なのが嫌いな人は読まないほうがいいでしょう。
全体として僕は初期の本格ミステリよりプロットに捻りを効かせたもののほうが好みのようです。
彼の文体は平易で読みやすい反面情感に欠けるので、人間を描くにしても独白や心情の描写でダイレクトに描くより、その天才的な構成力を発揮して他者からの印象や風景としての存在の中から浮かび上がらせる、といった手法の方が合っている気がします。
この人は小説家としてはともかく、ストーリーテラーとしては本当に一流ですね。映画化、ドラマ化が多いのも納得です。
かまいたちの夜みたいなゲーム作ったら凄く面白そうなんだけどやる気ないのかな?期待。
今までに読んだのは、
むかし僕が死んだ家
変身
手紙
分身
超・殺人事件
白夜行
放課後
宿命
鳥人計画
探偵倶楽部
11文字の殺人
の11冊。ちなみに上から面白かった順。
超・殺人事件は短編集で、超理系殺人事件と超高齢化社会殺人事件が面白い。ただ、くだらないので低俗なのが嫌いな人は読まないほうがいいでしょう。
全体として僕は初期の本格ミステリよりプロットに捻りを効かせたもののほうが好みのようです。
彼の文体は平易で読みやすい反面情感に欠けるので、人間を描くにしても独白や心情の描写でダイレクトに描くより、その天才的な構成力を発揮して他者からの印象や風景としての存在の中から浮かび上がらせる、といった手法の方が合っている気がします。
この人は小説家としてはともかく、ストーリーテラーとしては本当に一流ですね。映画化、ドラマ化が多いのも納得です。
かまいたちの夜みたいなゲーム作ったら凄く面白そうなんだけどやる気ないのかな?期待。
ラベル:
本
2006/12/06
【Trash】City Marathon
12/3、某県某市主催の市民マラソンに参加してきた。
2km、3km、5km、ハーフマラソンのうち、ハーフマラソンに参加してきた。
結果1500名程の出場者の200位くらい。タイムとしては1時間半くらい。
「そこそこ速い」という賞賛するほどでもなくネタにもならない中途半端なポジションに落ち着いた。
当日は12月にしては暖かった。それが大会史上初めて5,000人を突破したという出場者たちにとって良かったのかどうかは分からないが、応援の人たちにとってはよかっただろう。冬空の下ただ立っているだけというのも辛い。
マラソンの中継をみていると沿道いっぱいに旗を持った群集が立ち並び声援を送っているが、正直よくやるな、と思う。寒空の下、身をちぢこませてお手当ての選手を待っていても、やっとやって来た彼らは一瞬で通過してしまうのだ。何人かの選手を見送った後、彼らはどういう顔で帰るのだろうか?「いつだって去り行く者は美しい」と歌ったのは中島みゆきだったと思うが、残されるということには惨めさが付きまとうと思うのは俺だけなのだろうか?
実は昨年もこの大会の5kmに出場した。その後違う大会の10kmも走ったので、今回はハーフ、そして2月に東京マラソンでマラソンデビュー&引退レースという華々しいランナー人生を描いていたのだがあえなく東京マラソンに落選したため、それもついえた。意味の無い大会だった。
それでも収穫はあった。今まで5km,10km,21km(ハーフ)と走ってきた結果、15km以下と以上では全然別物だということに気付いたのだ。
5kmくらいなら勢いでいけた。ヨーイドンで行けるとこまで行けばいいだけだ。
10kmは5kmの勢いに根性を足して乗り切れた。過度に息切れしない程度に飛ばしていけばそのままゴールに着いた。どちらも走り終わった後はゼエゼエと息が切れ、体は火照っていた。 体力と使った、という実感があった。
今回は違った。
今回のコースは10km過ぎから苦しくなるとの情報を得ていたので前半抑えていったこともあり、10km過ぎまで楽勝だった。
11km地点くらいだと思うがタイム表示があり、そこで51分くらいだった。走りながら考えた。
細かい計算は置いといて、今はおおよそ半分地点。
で、現在のタイムを単純に倍にすると102分。1時間と42分。1時間半と少し。
今後1km1分のペースアップをすると、92分。1時間32分。もうちょっと頑張れば90分。1時間半。
イケル。
1時間半を目標にしようと思い、ペースアップを試みた。すると。
脚が痛い。
足裏が痛いのは靴を忘れた罰だと思うが、それ以外に脚の後ろ側が痛くなってくるのだ。
始めはふくらはぎが、そのうちに腿裏が。
つってしまうと大変なので出来るだけ負荷を掛けないように関節を使わないで走るのだが、そのカクカクしたフォームはいかにもエネルギーのロスが大きく、また見た目もヤバイのでドクターストップがかかった場合、鉄格子付きの方の病院に収容されてしまいそうだ。出来るだけ平静を装って走りきった。
筋肉痛み当日が一番酷くてその後は日ごとによくなり、3日目の今日では殆ど問題ないが、最初はホントに痛かった。
歩行時、足を真っ直ぐに振り出すと裏側の筋肉が痛いので、バレリーナがお辞儀するときみたいにつま先を開いたままで歩く。
つま先が外を向いているので足もやや横方向に振られることになり、バランスをとるために腕も横方向に振られる。
手足を横に振りながら前進していく様は陽気なゴリラのようで、とても悲しい。
勢いで走れるのは10kmまで。15kmを超えるランには多少でもトレーニングしたほうがよさそうです。
2km、3km、5km、ハーフマラソンのうち、ハーフマラソンに参加してきた。
結果1500名程の出場者の200位くらい。タイムとしては1時間半くらい。
「そこそこ速い」という賞賛するほどでもなくネタにもならない中途半端なポジションに落ち着いた。
当日は12月にしては暖かった。それが大会史上初めて5,000人を突破したという出場者たちにとって良かったのかどうかは分からないが、応援の人たちにとってはよかっただろう。冬空の下ただ立っているだけというのも辛い。
マラソンの中継をみていると沿道いっぱいに旗を持った群集が立ち並び声援を送っているが、正直よくやるな、と思う。寒空の下、身をちぢこませてお手当ての選手を待っていても、やっとやって来た彼らは一瞬で通過してしまうのだ。何人かの選手を見送った後、彼らはどういう顔で帰るのだろうか?「いつだって去り行く者は美しい」と歌ったのは中島みゆきだったと思うが、残されるということには惨めさが付きまとうと思うのは俺だけなのだろうか?
実は昨年もこの大会の5kmに出場した。その後違う大会の10kmも走ったので、今回はハーフ、そして2月に東京マラソンでマラソンデビュー&引退レースという華々しいランナー人生を描いていたのだがあえなく東京マラソンに落選したため、それもついえた。意味の無い大会だった。
それでも収穫はあった。今まで5km,10km,21km(ハーフ)と走ってきた結果、15km以下と以上では全然別物だということに気付いたのだ。
5kmくらいなら勢いでいけた。ヨーイドンで行けるとこまで行けばいいだけだ。
10kmは5kmの勢いに根性を足して乗り切れた。過度に息切れしない程度に飛ばしていけばそのままゴールに着いた。どちらも走り終わった後はゼエゼエと息が切れ、体は火照っていた。 体力と使った、という実感があった。
今回は違った。
今回のコースは10km過ぎから苦しくなるとの情報を得ていたので前半抑えていったこともあり、10km過ぎまで楽勝だった。
11km地点くらいだと思うがタイム表示があり、そこで51分くらいだった。走りながら考えた。
細かい計算は置いといて、今はおおよそ半分地点。
で、現在のタイムを単純に倍にすると102分。1時間と42分。1時間半と少し。
今後1km1分のペースアップをすると、92分。1時間32分。もうちょっと頑張れば90分。1時間半。
イケル。
1時間半を目標にしようと思い、ペースアップを試みた。すると。
脚が痛い。
足裏が痛いのは靴を忘れた罰だと思うが、それ以外に脚の後ろ側が痛くなってくるのだ。
始めはふくらはぎが、そのうちに腿裏が。
つってしまうと大変なので出来るだけ負荷を掛けないように関節を使わないで走るのだが、そのカクカクしたフォームはいかにもエネルギーのロスが大きく、また見た目もヤバイのでドクターストップがかかった場合、鉄格子付きの方の病院に収容されてしまいそうだ。出来るだけ平静を装って走りきった。
筋肉痛み当日が一番酷くてその後は日ごとによくなり、3日目の今日では殆ど問題ないが、最初はホントに痛かった。
歩行時、足を真っ直ぐに振り出すと裏側の筋肉が痛いので、バレリーナがお辞儀するときみたいにつま先を開いたままで歩く。
つま先が外を向いているので足もやや横方向に振られることになり、バランスをとるために腕も横方向に振られる。
手足を横に振りながら前進していく様は陽気なゴリラのようで、とても悲しい。
勢いで走れるのは10kmまで。15kmを超えるランには多少でもトレーニングしたほうがよさそうです。
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