2005/09/09

~富士登山’05 其の一~

・プロローグ

「冒険」という言葉が好きだった。
また、「挑戦」という言葉も好きだった。
大きいものや強いものを見ると闘志が湧いてくる、といった傾向があった。健全なオトコノコであった。


小学生の頃だったか、初めて鎌倉の大仏を見たときもそうだった。
天を突くその大きさ。
切れ長の迫力のある眼差し。
車ほどはあろうかという巨大な掌。
強そうだ。とても強そうだ。
「倒す」

恐れを知らぬ少年はとキッと大仏を睨んだ。
敵は眉ひとつ動かさず僕を睥睨していた。この巨大な相手と戦うことを想像してみた。
うなる張り手。
隕石のような頭突き。
指だけでトラックほどはありそうな足が繰り出す回し蹴りは東京タワーをもへし折るであろう。
・・・少年は正直びびった。
わりと賢かった少年は、
「いつか倒す」
と若干計画を変更し敵の本拠地、高徳院を後にしたのであった。


さて「いつか倒す」と言った少年であったが、後に大仏に傷を付けると罪になることを知る。
器物破損:3年以下の懲役または30万円以下の罰金(刑法261条)
悔しいが社会秩序を乱すわけにはいかない。こんなことで前科者となり親兄弟に世間から辱めを受けさせてはいけない。
少年は無事、打倒大仏を諦めたのであった。

少々勝気だった少年もやがて大人になり、仕事を抱え暖かい人々に囲まれ平穏な日々を送っていた。
そんなある日、富士山を見た。
威風堂々、優雅な稜線をたたえた富士は穏やかに下界を見渡していた。
立派だった。
奈良後期の歌集、万葉集にも富士の美しさを称える歌があると聞く。悠久の時代からこの山は人々を魅了してきたのだ。
分かる。この山は美しい。荘厳なものがある。強そうだ。とても強そうだ。
「倒す」


大人になった少年はまず法規制を調べたが富士山に対する暴行は罪にならなかった。
世間に対する顔向けの方も、富士山を踏んづけると後ろ指を指されることも無く、それどころか賞賛されることすらあり得るということだった。

2005年8月16日、こうして俺は日本のてっぺんを踏んづけるために旅立ったのであった。

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