2007/07/10

25時


25TH HOUR
(2002、アメリカ)
監督:スパイク・リー
出演:エドワード・ノートン モンティ
    フィリップ・シーモア・ホフマン ジェイコブ
    バリー・ペッパー フランク
    ロザリオ・ドーソン ナチュレル

 新人作家デイヴィッド・ベニオフの感動ミステリーを「ドゥ・ザ・ライト・シング」のスパイク・リー監督が映像化したヒューマン・サスペンス。ベニオフ自ら脚本を担当。25時間後に懲役7年の刑で収監されることが決まっているひとりの男が、後悔と絶望感を抱え過ごす24時間の心の旅を情感を込め繊細に綴る。主演は「アメリカン・ヒストリーX」「ファイト・クラブ」のエドワード・ノートン。 ニューヨーク。かつて瀕死の状態から助けた犬と共に公園のベンチに佇む男モンティ・ブローガン。ドラッグ・ディーラーだった彼は、何者かの密告で麻薬捜査局に逮捕され、保釈中の身だった。そして、25時間後には7年の服役のために収監される。その中で彼のような“イイ男”が受ける仕打ちは火を見るより明らかだった。彼は、馴染みの店で最後の夜を明かそうと2人の親友、高校教師のジェイコブと株式ブローカーのフランクに声を掛ける。また、アパートでは恋人ナチュレルが待っていたが、モンティは彼女が密告者ではないかと疑っていた。やりきれない思いを抱えたまま、モンティのシャバでの最後の夜が始まろうとしていた。(alicinemaより)


「もし今日が人生最後の1日だったら何をしますか?」

おそらく殆どの人が一度は投げかけられた、或いは自問したことがある問いじゃないかな?

自分もされたし時にしたけど、答えは人の生きてきた数だけあるのだろうし、正解がある訳でもないよね。また、期待する答えがあるわけではない。じゃあ何故するかと言えば、話題探しに詰まったから、という切実な場面を除けば、答えに「共感」や「発見」を期待しているからではないかと思う。「共感」は相手に向くもので、「発見」が自分に向くものとすれば、それは同じものかもしれないけれど、何にせよそれは、人間関係を築くうえで目指す主目的の一つでもある。


この映画の主人公・モンティは死ぬわけでもないし捕まっただけで健康なので若干条件は違うが、劇中に「ムショは最悪だ」とか「これであいつと会うのもお終いだ」とか、収監を実質的な死のような捉えているようなセリフが散見されることから、少なくともこの作品上では「収監で人生が終わる」ものとして鑑賞して差し支えないかと思われる。

で、そういう風に捉えようとしたのだがあえなく失敗し、主人公・モンティに全く共感出来なかった。
彼と彼の周囲の人間達の人生感になんの「共感」も「発見」も無かった。
皆、鈍感で無自覚に過ぎる。
特に基本的に利他的な人生を選んできたモンティとフランクは、もっと自分の功罪について俯瞰的であって然るべきに思える。お互いを観察する鋭い目が自分に向けられていないのは単に間抜けというか、人間が薄いようにしか思えない。
そしてそんな人間の告白や悔恨が胸を打つはずもない。


アメリカの社会を肌で知らないことが主因となって映画から感じるべき生々しさが、自分には汲み取れなかったということなんだろうな。一度カマでも掘られてみれば泣けるほど身に染みる映画になるかもな。違う意味で「二度と帰れなく」なったするかもしれないが・・・(*´∀`)ウフフ

我が人生の残りも、頑張って500,000時間くらい。
友達2億人くらい出来ないかな。


満足度 19点  エドワード・ノートンはいいねー

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