今日、ジムで障害者を見かけた。知的障害者だ。
更衣室で奇声に近い独り言を言いながら服を脱ぎ、お風呂へと消えていった。
ジムにいるとつい人のカラダを観察してしまうものだが、その人は結構大柄で、
ガタイも悪い方ではなかったが、特に逞しいとか締まっているとか、
いわゆる「いいカラダ」ではなかった。
ま、そんなもんに興味ないんだろうな、と思ってハタと止まった。
では何故彼はジムに来てトレーニングしているのか。
なにかの大会を目指しているのかもしれない。
だとしても、そは本人の意志なのだろうか?
単に健康増進かもしれない。
しかし、それも本人が望んでいるとは考えにくい。
その場には見あたらなかったが、きっと保護者の意志で通っているのだろう。
トレーニングはツライ。
もちろん身体の疲れというのは一種の快楽を伴うものであるが、そこに辿り着くまでに
苦しい思いや痛い思いをしなくてはならない。
痛みや苦しみというのは、人間にとっての警告ランプだ。
「あんま無理すると死んでまうで~」「もう止めとき~」
酸素不足にあえぐ肺が、きしむ筋肉が、警告を発する。
我々は知識で、経験で、限界がまだ先であることを知っているし、
見事なプロポーションや力強くタフな肉体がその先にこそあることを知っているから頑張れる。
しかし彼はどうだろう。おそらくそこまで理解できていないのではないだろうか。
先に書いたが、見事な肉体の障害者などついぞ見たことがないのもその説の僅かな裏打ちとはなろう。
そんな彼らが何故頑張れるのか。
喜んでくれる人がいるからではないだろうか。
彼らを送り出した保護者の喜ぶ、その笑顔が見たくて彼らは
いつ終わるともしれぬ痛みや苦しみに耐えるためにここに通ってきているのではないか。
世の中に「いいこと」がいくつあるのか知らないし、きっとそれは人によるのだろう。
ただ、
「あなたの笑顔を見たいから頑張った」
そんな風に帰ってくる人間を出迎える気持ちはどんなものだろう。
その気持ちを想像すると、なんだかとても暖かくなる。
2010/08/03
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2 件のコメント:
うん。ポカポカする
( ・ω・)=つ≡つ (#)`Д`) ポカポカッ!
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