2006/04/03

【Books】壬生義士伝


壬生義士伝
(2000、日本)
浅田次郎




旧幕府軍の敗退がほぼ決した鳥羽伏見の戦。大坂城からはすでに火の手が上がっていた。そんな夜更けに、満身創痍の侍、吉村貫一郎が北浜の南部藩蔵屋敷にたどり着いた。脱藩し、新選組隊士となった吉村に手を差し伸べるものはいない。旧友、大野次郎右衛門は冷酷に切腹を命じる―。壬生浪と呼ばれた新選組にあってただひとり「義」を貫いた吉村貫一郎の生涯。構想20年、著者初の時代小説。 「BOOK」データベースより)



まず最初に断っておきますが、僕は歴史モノはあまり好きではありません。なのでそういう人間が書いたレビューだということを念頭に大らかに判断していただけると有難いです。

さて、「壬生義士伝」。

浅田次郎の作品はいつもそうだが、語り手の描写が非常に上手く、訥々とまたは快活に言葉を飛ばすさまがありありと浮かんできます。そんな得意の語りのシークエンスを上手く構成に嵌め込んだところ、新撰組という幕末のスター軍団にありながら全くといっていいほど歴史に名を刻まなかった人物にスポットを当てたところなど、着想の部分からして大した小説だと思います。

しかし、いかんせんストーリーはどこまで本当なのか疑わしいところがあります。

これは歴史モノ全般に言えることで、そこにツッコミを入れるのは野暮なことかもなのかもしれませんが、綿密な調査によって描きあげた史実の裏を作品と書き出した、というよりはある人物をあるいは史実を好き勝手に作り上げたいがために綿密な調査を行ったのでは、と思ってしまうのです。いわば”アリバイ工作”です。

そしてそういった手法には実際に生きて死んだ人間への畏敬は感じられず、僕に嫌な感覚を呼び起こすのです。人間の営みを軽んじられたような、祖先の努力を嘲り笑われたような、そういった類の嫌悪感です。

(以下、ネタバレっぽいのもはいります)

この本を読む限り、吉村貫一郎が小説で描かれた通りの行動をとっていたとしても、実際に数十年後に桜庭さんや斉藤さんに話を聞きにいったら本に書かれていたような印象を語ってくれるとはとても思えないのです。

普遍的事実として、他人から見えるある人の人物像とは、その人間が何をしたかあるいは何を語ったかのみによって培われる筈です。そこに推察や自己投影が行われるのはもちろんですが、その時に本当は何を考えていたのかは決して分かりません。

我々読み手は親切にも筆者から主人公の胸の裡も明かされるので、寡黙な主人公の心情も理解できますが、実際に同じ舞台で共に生きてきた人がそうであってはいけません。ある人物が他人に極度に理解を示したのあれば、(現実では察しのいい人ということになる場合でも)作り物である小説ではそれは、その人物が小説よりもむしろ我々と同じ世界に属することを意味することなり、それに気付いてしまえばその世界は瓦解してしまうのです。これは時代劇で背景に電柱を探すような行動とは違うことを分かってもらいたいと思います。

もしかしたら、それでも野暮なことかもしれません。小うるさいだけかもしれません。宮本武蔵など歴史上の大人物でさえ明らかな史実に反することさえなければ、その心情を語り、行動を解説することが許されているだから、歴史の波に呑まれた田舎侍のリアリティなど瑣末なこととしてしまっていいのかもしれません。だけど僕にはそれは許されず、楽しむことが出来ませんでした。最初に断ったとおり、これはこの小説に関する感情ではなく歴史モノ全般に関する、僕の逃れられない情動です。

この感覚を超えた歴史モノと言えば映画ですが、バリー・リンドンがあります。「神の目線で映画を作る」を作ると評されたスタンリー・キューブリック監督の作品です。

過去の人物を主題として扱った作品の目的の一つに、時代を切り取って見せることがあるかと思いますが、これはその点においてハイレベルに成功した作品だと思います。このレビューに共感して頂ける方で未見の方がいらっしゃったら是非どうぞ。

話が大分脱線しました。

最後に僕の好きな浅田次郎作品を挙げておきます。

それは・・・

『プリズンホテル』!

やっぱりって感じですか?w

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