負けた。
待ちに待った黄金世代のワールドカップ、初戦は完敗に終わった。
スコアは3-1、内容もまぁそれに相応しいものだったと言わざるを得ないだろう。日本国内で多分1億回くらいは行われていると見られる敗因分析を、性懲りも無くここでも少しやってみたいと思う。失敗を意味のあるものにするには分析は欠かせないのだ。
最初に自分なりの見解を書くと、最大の敗因は「弱気」になると思う。
なんだよ、精神論かよ!という方もいるかもしれないが、敢えて言いたい。そうです。精神論なのです。と。
序盤、日本は落ち着いていた。プレスも効いていたし、サイドからの展開も見られた。そして互角の様相を呈する中でラッキーなことに先制点を奪うことに成功した。
日本はきちんと試合を組み立てていたし、そのうえ棚ぼたな先制点まで手にしたのだから、極力普通にさえ試合を進めれば良かった筈だ。残り時間で1-1なら、トータルでは2-1、1-2でもトータル2-2の勝ち点1は取れるのだから、この早い時間の先取点は忘れて試合を組み立てるべきだった。だがそれが出来なかった。
先制点以後、日本の意識は明らかに守りに傾いた。左サイドのサントスの上がりも少なくなったし、何より最終ラインが引きすぎて攻守の切り替えに時間を要するようになってしまった。それでも中盤の選手がボールをもらいに戻ることで何とかバランスを保っていたが、暑さの中そんな無理な戦法を続けられるわけも無く、序盤から厳しいチェックを受けていた中村を筆頭に日本選手の足が止まり始めた。
間延びした陣形、人数の足りないプレス。典型的な負けパターンは前半の終わりにハッキリしてきていた。
具体的な敗因の一つは、引きすぎたディフェンスラインにあると思う。
宮本はいつもディフェンスのことしか考えない。これは良くない。ディフェンダーだから当たり前ともいえるが、彼は同時にキャプテンでもあるはずだ。ジーコジャパンで不動のレギュラーなのもそのキャプテンシーによるところが大きいと思われる。事実、宮本のディフェンス能力は決して高くないのだから。
スピードが無く裏を取られると追いつけない。当たりに弱く競り合えば倒れてしまう。1対1にも弱いため、カウンターに対してディレイを取ることが出来ないし、それ故相手のシュートレンジでも距離を詰めることが出来ずに余裕を持ってシュートorパスをさせてしまう。こんなシーンは昨日の試合でも何回も見られた。かといっても今、ディフェンスの中央を替えるというのは余りにリスキーなので、せめてキャプテンは中田に任せるのがいいのではないだろうか。
具体的な敗因をもう一つ挙げるなら、ジーコの采配になると思う。
坪井は仕方ないとして、小野の投入は良策とは言えなかったのではないだろうか。
意図としては中盤を厚くしてボールを落ち着かせ、走れて守備能力も高い中田を前に上げることでプレスを掛けることでオーストラリアの前線への放り込みの起点を潰したい。つまり中盤を経由するサッカーをさせたいと考えたのだと思うが、これにはいくつかよろしく無い点がある。
まず、プレスを掛けていくならば全員で掛けなければ意味が無い。意味が無いどころか逆に穴を作り体力を消耗して自滅することになってしまう。既に走れなくなっていた中村を外さないで中盤の守備が成り立つはずもないのだ。外すのは中村、そうで無いなら高原のはず日本の1トップは柳沢でないと成り立たないとジーコ自身が言っていたと聞いたことがあるが間違いだったのだろうか?この日の柳沢の調子は普通だったが、高原は浮き足立っていたように見えた。柳沢のへの決定的なパスを2本失敗したが、あれは高原が下手だったとかDFが上手だったわけではなく、ミスをしたのだと思う。パスを出すタイミングから、コース、球種に至るまで。要するに彼は浮き足立ってたのだと、俺は思う。
ちょっとそれたが、つまりここで攻撃を考えるなら中村out小野inか、中村or高原out玉田in、守備的に行くなら中村or高原out稲本or遠藤inだと思う。大体ここで使わないなら玉田、稲本、遠藤はどこで使うつもりで連れて来たのかだろうか?俺が思うにジーコも浮き足立っていたのではないだろうか?
サッカーの神様、百戦練磨の名プレーヤーだった彼が我を失うとは考えづらいが、そう考えるのが一番収まりがいい。それほど悪い采配だった。
では、神様やクレバーなキャプテンの判断を誤らせたのは何か?
これこそが「弱気」なのではないかと俺は思う。
ハーフタームにジーコは「勝っているゲームを」と選手に伝えたらしい。
後半、日本は何回か素早く相手陣内に攻め込むシーンがあったが、ことごとくそこで進軍を止め、バックアップを待ち、敵DFの前で余裕を持ってパスを回すことに専念していた。そんな余裕を見せ付けることが「勝者のゲーム」なのか?そんなのはまるでポーカーでロイヤルストレートフラッシュが来たからニヤニヤしている馬鹿みたいなものだ。
勝者の利とは、1ペアを4カードに見せるその気配だ。攻める気配だけで相手を牽制できること、曖昧な領域を自分のものに出来る権利が勝っている者の特権だ。そしてそれは勝つために行うのだから、勝てる時は勝負をしなくてはいけない。正確には相手に負け試合を挑ませなくてはいけないのだ。仮に日本がチャンスをきっちりチャンスとして、決定機をきっちり決定機として演出できていれば、その結果がどうであろうと敵に与えるプレッシャーは並大抵のものでは無い筈だ。ピンチかもしれない、と一瞬でも思えば、負けているものは守りを考えざるを得ないのだから。
ところが日本はブラフをかけるべきところで背伸びをしてしまい、余計なスタミナを浪費する。坪井の故障や中村のガス欠も一種の焦りから余計な負荷を掛けた結果とみることも出来るのではないか。まぁ、中村は単純に良く働いたからだとは思うが、それにしても疲れ果てた姿を見せるなどということは、勝者が絶対にやってはいけないことだということが何故分からなかったのだろう。
当日は知人の働く西麻布のバーで観戦していたのだけれども、後半39分に日本が同点に追いつかれたとき、さっきまで怒号や嬌声に塗れていた店内は水を打ったかのように静まり返った。手拍子もパッタリ止み、誰かがまだ同点同点!と手を叩いても声も出ないで画面を見つめる人が多かった。別に日本の片隅の店の状況なんかは関係ないのだが、声も無く祈る観客とピッチ上の選手に同種の空気を感じてマズイな、と思っていたが(恐らく選手達自身も思っていたが)、結果は知っての通りとなった。
戦うものが祈ってはいけない。
戦っているものが戦っていることを忘れては、満足の行く結果は得られない。与えられない。
2006、ドイツワールドカップはまだ序盤。
残り、勝つぞー!!!ヽ(`Д´)ノ
2006/06/13
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
ほんま残念でしたね!!すばらしい解析ですベスト10/一億回に入るんじゃないですか!?時期監督をお願いしますm(__)m僕は地元のスナックで、オッサン達と見てましたが、その日はちょっとしたスポーツバーみたいになりました。
いやぁ、お恥ずかしい(汗
無責任にあーだこーだいうのもどうかとは思いますが、これも楽しみの一つってことで寛大な目で見てやってください(;^-^)
コメントを投稿