2007/05/29

ミュンヘン


ミュンヘン
(2005、アメリカ)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:エリック・バナ  アヴナー
    キアラン・ハインズ  カール
    ダニエル・クレイグ  スティーヴ
    マチュー・カソヴィッツ  ロバート
    ハンス・ジシュラー  ハンス
    ジェフリー・ラッシュ  エフライム
    ミシェル・ロンズデール パパ
    マチュー・アマルリック  ルイ


「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」のスティーヴン・スピルバーグ監督が、1972年のミュンヘン・オリンピックで起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件とその後のイスラエル暗殺部隊による報復の過程をリアルかつ緊迫感のあるタッチで描いた衝撃の問題作。原作は、暗殺部隊の元メンバーの告白を基にしたノンフィクション『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』。主演は「ハルク」「トロイ」のエリック・バナ。
 1972年9月5日未明、ミュンヘン・オリンピック開催中、武装したパレスチナのテロリスト集団“黒い九月”がイスラエルの選手村を襲撃、最終的に人質となったイスラエル選手団の11名全員が犠牲となる悲劇が起きた。これを受けてイスラエル政府は犠牲者数と同じ11名のパレスチナ幹部の暗殺を決定、諜報機関“モサド”の精鋭5人による暗殺チームを秘密裏に組織する。チームのリーダーに抜擢されたアヴナーは祖国と愛する家族のため、車輌のスペシャリスト、スティーヴ、後処理専門のカール、爆弾製造のロバート、文書偽造を務めるハンスの4人の仲間と共に、ヨーロッパ中に点在するターゲットを確実に仕留めるべく冷酷な任務の遂行にあたるのだが…。(allcinemaより)



ユダヤを扱うハリウッド作品ということで「変なプロパガンダじゃないだろうな」と危惧していたが、むしろ制作者側もそうならないように配慮した感すら受けた。淡々と進む物語のもつリアリティは、誰が正しいのか、どちらが正しいのか、そういった視線自体の誤りを指摘しているようだ。

「ブラック・ホーク・ダウン」でも似たような感覚を受けたけど、説明を省いて映像を見せることにより不足する善悪判断を自問自答で補うことを余儀なくされ、結果浮かび上がってきた自分の思想が試されている、そんな気分になった。こういう禅問答みたいのは好きだね。禅問答やったことないけど。


スピルバーグ観るのも久し振りだと思うけど、「さすが」の腕前です。
カット割の工夫や光の使い方、物語の見せ方が上手いっ!

犠牲者の11人の名前を読み上げるシーンはテレビの紹介とテーブルに投げられる写真のカットを交互に入れることによって冗長さを無くしているし、冒頭の選手村進入やベイルート作戦の上陸のシークエンスでは男達が無言で素早く着替えることで何かの作戦のスタートとそれに伴う緊張感を演出している。
バーで女に誘われるシーンの構図や色使いも見事だし、アブナー夫婦がピロートークしているときに窓から流れる光のコントラストも二人の距離感を暗示するかのように絶妙。
中でも電話ボム作戦のときに、アブナーと車待機組み、電話犯をワンカットで収めたシーンは本当に感心した。配置も分かりやすく、距離間も近く感じるため緊迫感は増し、流れが途切れないからそこで行われているような肌で感じる現実感がある。


と、いうことで「いやー。映画って本当にいいですね」っていう結論に行きそうなところなのだが、いかんせんこの映画、パワー不足感が否めない。

それが一番顕著なのが主人公・アブナーその人。

表情はパッとしないし、秘密作戦受諾もグズグズだし、仲間に煽られたら「じゃあ殺す!」ってノリだし、劇中でも言われていたが、「何故リーダーに選ばれたか分からない」。

大体、命を狙われるようになって、急に脅えてベッドを切り裂いたり、家族に手を出すなと狂乱したりしたって遅いし、そんな展開になることが、首相みずから依頼の国家機密を負う特殊任務に就く、ターゲットの後任を殺す、などという選択をする時点で、こういう自体になることを考えつかないのはちょっとお粗末ではないかと。

なぜ、アブナーが家族を犠牲にしてまである面では確実に倫理を犯す特殊任務に就いたのか。
なぜ止めることを考えなかったのか。
何を守り、何を目指したのか。

そこにはある種の圧迫感や使命感があったのではと推測されるが、作中ではそこに説明は無い。
アブナーにとって「国家が母」であるという下りが答えなのかもしれないが、それは誰にも分かりやすい動機のひとつにしか過ぎないのではないかとも思う。
疑問を内包しながらも突き進むしかない状況的・心理的描写さえあれば、ガツンと心に響く作品であったように思う。


スピルバーグからすれば「ユダヤの悲劇だよ?言わなくったって分かるっしょ!」てな考えかもしれないが、ほぼ単一民族の島国で生まれ育ち、人類皆兄弟!のサヨク教育が脳幹から染み付いた俺には分からない。シオンだかゴルゴタだか知らないが、いい大人が丘のために家族丸ごと殺しあうなんてのはまるでコントだ。話は突然全く逸れるが、そういう意味では悲劇の喜劇性に気付いたチャップリンはやっぱり天才だな。彼がこの事件を題材にした映画を作ったとしたら、是非観てみたいな。


えーと。これ以上とっちらかる前に短くまとめるなら、”よく出来た大作だけど主人公がアホっぽくてイマイチ感情移入できなかった。”ってところでしょうか。
これは自分の無教養の所作かもしれないが、そうではないのではない可能性も充分にあると思う。
誤解を恐れずに言えば、主人公と俺は、あるパラダイムシフトの前後に立っている。そのくらいの距離感を感じた。

まぁそもそも、一回で判断するような映画ではないような気もします。
2回3回と観て違った理解が出来てこそ、「この映画を観た」と言えるのかもしれません。って全然まとまんなかったなorz                 


満足度 79点  パパはゴッドファーザー

           

2007/05/25

SAW3


SAW3
SAW Ⅲ
(2006、アメリカ)
監督:ダーレン・リン・バウズマン
出演:トビン・ベル         ジグソウ
   ショウニー・スミス      アマンダ
   アンガス・マクファーデン  ジェフ
   バハー・スーメク       リン・デンロン医師



 斬新なトリックと壮絶な残酷描写で世界的に大ヒットしたシチュエーション・スリラーのシリーズ第3弾。謎の殺人鬼“ジグソウ”が仕掛ける新たなゲームが幕を開ける。シリーズの生みの親ジェームズ・ワンとリー・ワネルは原案と製作総指揮を担当。監督は「ソウ2」に引き続きダーレン・リン・バウズマン。 ある時、暗闇で目覚めたエリック。彼は拘束状態にあったが、自らの右足を犠牲にそこからの脱出を図る。またある日、密室での爆死事件が発生。またしてもジグソウの仕業と知った女刑事ケリーは、独自に検証を始めるが…。一方、不倫に溺れる女性外科医リンが何者かに誘拐される。リンが目覚めると、目の前には瀕死の殺人鬼“ジグソウ”が横たわっていた。ジグソウに付き従うアマンダがリンにルールを伝える。それは、ある男に仕掛けたゲームが終わるまで、ジグソウを延命させること。ジグソウの心臓が止まれば、リンの首に巻かれた爆弾も爆発する──。その頃、食肉工場の地下室で一人の男が目を覚ます。彼はひき逃げで最愛の息子を失った父親ジェフ。彼はそこで鎖につながれた3人の男女を目撃する。一人はひき逃げを目撃しながら法廷で証言しなかった女。もう一人は、犯人に軽い罰しか与えなかった判事。そして最後に、愛する息子をひき殺した男。ジェフは、この3人の運命が自分にゆだねられていることを知るのだった…。(allcinemaより)





う~ん。(-"-)
俺の求めるのとは違う方向に行ってるなぁ。グロすぎる。

初代SAWが評価されたのは何よりもその意外性に因るところが大きかったと思うんだけど、2,3と段々アイデアが貧弱になってきているような気がする。
新しいアイデアといえば拷問の方法だけ。

こんな映画で「悪趣味だ!」とかいうのはお門違いとは思うけど、プロットで勝負できなかったから、それを補うかのように残虐な描写を増やして誤魔化してる感じがする。
そりゃードキドキハラハラしたくて見てるんだけど、手足がねじ切れたり、脳みそをぶちまけたりとかで簡単に済ませようとしているのはちょっとなぁ。
CUBEなんかもこういう方向に行ったけど、なんか勘違いしてないかなぁ。好きな女に告白しようって時に吊り橋に連れて行くようなのは、工夫ではなくて単なる間抜けだと思うんだが。


SAWシリーズの方向性の良し悪しは置いといて、この作品だけでいうとジェフがいただけない。

ボケた顔の役者もイマイチだけど、それより彼の人格の設定に難があるように思う。

何を好み、何を大事にして、何を求めて生きているのか、そういった基本的な姿勢が伝わってこない。そうするに現実感が無い。血の通ったキャラになっていない。

普通、子供が轢き殺されたから犯人を恨む、っていったって限度がある。

一人息子でもない子供が不幸な事故に巻き込まれて死んで、犯人に対する処罰に納得出来ないからって、残された家族全て蔑ろにして悲哀に明け暮れ続けて、それにまつわる全ての人間が死ねばいいなんて思うわけないと思うのだが・・。

狂気的なジェフの態度からして、なにかとんでもない事件があったのかと思っていたのだが、物語の進行と共に事件の詳細を知れば知るほどジェフに共感できなくなっていってしまった。

ラストの落ちはリンが身の上話を始めた頃には察しがつくし、やっぱり基本的なプロットがイマイチだよね。

大体ジグソウの狙いが分からん。

彼の描く成功のビジョンとはなんだったんだ?

それに向かってちゃんと計画立ててたのか?

なるようにしてなったとしか思えないし、あの結末を招いたのは誰よりもジグソウの責任だと思うのだが・・。


音響効果、映像、カメラ、残虐装置のアイデア、等ディティールは凄くいいと思う。
特に初代SAWの疑問に答えてくれたのは良かった、というか嬉しかった。例の部屋の準備風景のシーンを見たら、もう一度初代SAWを見たくなったw

初代SAWが好きならそこだけでも楽しめると思います。


満足度 73点 (・ω・)ノ I saw saw a saw!

2007/05/24

ウォーク・ザ・ライン



ウォーク・ザ・ライン
WALK THE LINE
(2005、アメリカ)
監督: ジェームズ・マンゴールド
出演: ホアキン・フェニックス  ジョニーキャッシュ
リース・ウィザースプーン  ジューン・カーター



ボブ・ディランをはじめ数多くのミュージシャンに多大な影響を与えたカントリー・ミュージックの伝説、ジョニー・キャッシュの波乱に満ちた半生を映画化した感動のヒューマン・ラブストーリー。ドラッグから奇跡の復活を果たしたキャッシュと、彼の2度目の妻となるジューン・カーターとの10数年におよぶドラマティックな愛の軌跡を情熱的に綴る。主人公の2人を演じたホアキン・フェニックスとリース・ウィザースプーンは、劇中の歌のシーンも全て自分たちでこなす熱演を披露、各方面から絶賛された。監督は「17歳のカルテ」「“アイデンティティー”」のジェームズ・マンゴールド。 綿花栽培の小作で生計を立てる貧しい家庭に生まれたジョニー・キャッシュ。酒に溺れ、暴力を振う父に怯える毎日だったが、そんな彼の心の支えは優しい兄ジャックとラジオから流れてくる少女ジューン・カーターの歌声。ところがある日、その最愛の兄が事故で亡くなってしまう。父はお気に入りのジャックのほうが死んだことを嘆き、そのことがさらにジョニーの心を深く傷つける。やがて成長したジョニーは2年の軍隊経験を経て初恋の女性ヴィヴィアンと結婚、訪問セールスの仕事に就く。しかし仕事はうまく行かず、趣味のバンド演奏をまるで理解しないヴィヴィアンとの間にも溝が深まるばかり。その後、プロのミュージシャンとなったジョニーは、全米中をツアーする中で、少年時代の憧れ、ジューン・カーターとの共演のチャンスを得るのだった。(allcinemaより)



またまた登場、近所のビデオ屋ランキングの2位の作品。

ベスト10の中でなんとなくこれだけ観ていなかったのだが、結論からいうと直感は正しかった。

ムカついてしょうがない物語だった。
ジョニーみたいな奴、大ッ嫌い。

以下、俺の目に映ったジョニーの半生を淡々と書き出す。
ムカついているので全ネタバレ
観てない人は読まないでね。

子供の頃、優秀な兄貴が一緒に出掛けた時に自分が遊んでいる間に事故で死んでしまい、「神はいい子を連れていった」と父に嘆かれる。「お前が死ねばよかったのに」みたいなことも言われる。(これは可哀相)

やがて青年になり軍に入る。
軍隊では歌を歌ったり女を電話口で長々と女を口説いたりばかりしていた。

帰国後、オーディションに合格し一躍スターダムにのし上がると、ツアー先でファンの女性を食いまくり、なかなかヤラせない歌手の女(ジューン)を追っかけ回し、所構わず酒を飲み、ドラッグに溺れるなど家庭を顧みず放埓な毎日を送る。遂にはラリッたままステージに上り、ぶっ倒れる。
当然コンサートツアーは中止。正直周りは大迷惑。

帰りの空港で覚せい剤所持・使用で?逮捕される。
何故だか実刑も喰らわず。

釈放された後、久々に帰った自宅に帰るも、いきなり壁にジューンの写真を掲げるという暴挙に出てそれを咎めた妻を張り倒す。子供の前で張り倒す。
子供を連れて出て行く妻に「子供を巻き込むな!」という意味不明の主張をする。(妻はシカトして行ってしまう。)離婚。


ある日、いつものようにラリッたままジューンの自宅を訪れ、もちろんラリったままプロポーズする。
もちろん断られる。

その後、静かな湖畔にデカイ家を買って、引越し祝いのパーティーに両親・親戚と何故かジューンとその家族を招くが、その席上でまたも一人で酩酊しクスリをあおってラリってしまう。
それを親父に諌められると逆切れして来客を放置して外へ飛び出してしまう。

困惑して帰る家族達に目もくれず捨ててあったトラクターと格闘しているジョニーを、なぜかジューンと何故かジューンとその家族は暖かく見守り、彼を薬から立ち直らせようと湖畔の家に住み込み訪れてくるヤクの売人を猟銃で追い返すなどして彼を守り、遂には彼は禁断症状を脱することに成功する。
なぜこんなことをするのか。正直ジューンもラリっていたとしか思えない。


その後ジューンと一緒に歌手活動を再開したジョニーは。移動バスの中で疲れて眠るジューンを叩き起こし、「結婚しよう」「アホか、寝ろ」「怖い夢を見た。結婚しよう」「知るか。私眠いの。分かる?」「・・・結婚しよう」などという極めて身勝手なプロポーズを断られると、次はなんとステージ上で、演奏中にプロポーズした。


(音楽)ジャカジャカジャカ・・
「結婚してくれ」
「え?」
ジャカジャカジャカ・・
「結婚してくれ」
「な、なに言ってんの?それより歌いましょ」
「結婚してくれ」
「お客さんは歌を聴きに来たのよ。つーか今仕事してんのよ?分かってる?」
ジャカジャカジャカ・・
「40回プロポーズした。違う答えを聞かせてくれ」
「お願い。歌って」
ジャカジャカジャカ・・
「結婚してくれなきゃ歌わない」
ジャカジャカジャカ・・
「・・・・・」
「いいかい?いいだろ?幸せにするからさ?」
ジャカジャカジャカ・・
ジャカジャカジャカ・・
「・・・いいわ」


☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエー
今夜、俺、サイコー!

バンド大迷惑。


その後も自らの名声をと愚鈍な大衆からの支持を上手に換金しながら、別れた奥さんと子供に縛られることも無く左団扇で末永く幸せに暮らしたのであった。めでたしめでたし。


ってな感じ。


こういうタイプの人間っているんだよねー。

悪いことは全部他人のせいで「反省」の概念すら持たず、感謝の意味さえも知らず、自分で自分を王様認定して、そのことに自覚すらない奴。


こういうやつは自分を王様だと思ってるから例え腰が低くても偉そうで(ジョニーは腰が低くも無かったが)、偉そうにしていると知らないひとからは偉く見えてしまったりするので女にはモテて、それでまた自分が偉いことを確信してしまい、そのように一度心の王様が誕生していまうと、その後に自分の無知・無能・自堕落さ故の苦境に陥っても、「本当は偉い俺」が苦労しているのは周りが悪いのだとしか考え、女を殴ったり上司に悪態ついたりするんだけど、それをまた知らないひとが見て「この人は大物だ」勘違いして、それが王様の確信を更に深めて(以下、ループ となる。


結果それが成功することも多々あるとは思うけど、俺はこういう奴は好きじゃない。
カントリーの大物だかなんだかしらんが、俺は嫌い。父の「お前が死ねばよかったのに」に深く共感する。


以上。


満足度 7点 ムカツクくらいの名演だったともいえる。

2007/05/22

パンク侍、斬られて候




パンク侍、斬られて候
町田 康
マガジンハウス















町田康、初の時代小説。らしいけど、そういったカテゴリーに収まる物語ではない。まぁタイトルで分かると思うけど。


あらすじとしては、掛十之進なる牢人が「腹ふり党」なる新興宗教の跳梁を利用して黒和藩の召抱えになろうと企み家老に近づくも目的を見透かされるが、家老は家老で対立する家老を追い落とすためにこの企みを利用しようと考え掛と組むことにする。
ところが、ことは描いたシナリオ通りには進まず、後には引けない2人は事件をでっち上げるなどして進展を図るが、これが暴走し異常事態を引き起こし、ついには藩の危機を招くことになってしまう。
これはいかんと沈静化を目論むも兵力が足らず右往左往していると、人知を超えた意外な協力者が現れる。
説明の付かない友軍、超常現象を操る敵。振られ続ける腹。
空前絶後の戦いはやがて全てを巻き込み終末へと邁進する―。
って感じ。
見ての通り、時代小説ではもはやありえない。


町田康の小説全般に言えることだが、登場人物は総じて皆真面目である。
真面目に下らないことを考え、何かのバランスを取るように発作的に意味不明な行動に出る。
この支離滅裂、傍目にはまるで狂気の行動を取る気持ち、その心理が分かる。様な気がするのが町田作品の魅力の一つではないだろうか。
誤解を恐れずに言えば、意味不明な行動のカウンターパートとして世の中が描写されているのではないだろうか。

さてさて、そんな真面目な登場人物たちだが、名前は一風変わっていることが多い。
本作でも"江下レの魂次"や"大臼延珍"など読みにくく覚えにくい名前が登場する。”シトゲちゃん”や”差オム”などといったあだ名も唐突に出てきて、しかもそれについての一切説明は無い。
正直言って読みづらいのだが、何故こんな名前を付けるのか?
このことについて、町田康は以前インタビューで答えている。

質問は自分自身が以前にパンク歌手をしていた時に(今も現役か?)、名乗っていた"町田町蔵"という芸名についてのものだったと思うが、「何故その名前か?」を問われた彼は、
「パンクに名前は関係ない。意味も無くカッコ悪ければ、それでいい」
と回答していた。

名前は関係ない。
名前が関係ないならば、その存在に関係するものとはなんだろう?また、どうして名前は関係ないのだろう。
大事なものとそうでないもの。好きなものと嫌いなもの。
区別の難しいものを時に定義することもなく割り切った生き様は清清しく、はっきりいってカッコいい。 近作においてもラストで放たれる台詞にその魂が込められている。


これも町田康全般に言えることだけど、 好き嫌いが分かれるのは間違いないと思う。

まぁ彼が好きな人は後悔しませんので是非。
好きじゃない人は・・、止めといた方がいいかもw
未読な人は、最初は辛いかもしれないが、そこはちょっと頑張って最後まで読んでみてください。
慣れるとハマリますよーw

2007/05/21

ハンニバル・ライジング



ハンニバル・ライジング(上・下)


トマス・ハリス (高見 浩訳)


新潮文庫






レッド・ドラゴン

羊たちの沈黙

ハンニバル

そして今回のハンニバル・ライジング

トマス・ハリスは30年作家生活の中で、上記4作とデビュー作「ブラック・サンデー」の計5作しか書いていない寡作家。ハンニバルシリーズ専門の作家みたいになってしまったな。

寡作なのはいいけど、羊たちの沈黙の大ヒット後にスピン・オフ連発、ライジングに至っては脚本まで手掛けているとなると”商売っ気”が透けて見えて嫌な感じだよねぇ。


と、負の感情を持ったまま読み始めてしまったからか、どうも映画化を念頭に描いたと思われる箇所が目に付き物語の世界に入り込めない。過剰に映像的な描写が却ってこちらの想像力を阻害してしまう。頭の中でキャラが動き出さない物語ほど退屈なものはなく、読み終えるのに随分時間が掛かってしまった。

坊主憎けりゃ、じゃ無いけど、降って沸いたような日本文化礼賛も哀れなユダヤ人登場も媚びに聞こえ、ボリュームの無い上下巻化も憎く思えてきた。


大多数の人と同じだと思うが、俺自身も映画の「羊達の沈黙」から入ったクチなので、最後はやはり映画を観て判断したいと思う。
劇場に行こうと思ってたけど、DVDでいい気はしている・・。

Words

ヘムレンさんは、だんだんと目が覚めてきました。

そして、自分がだれだったのか思い出しました。
(だれかほかの、知らないひとだったらよかったのにな…)

ねむる前より、もっとずっと疲れていました。なのに、また新しい一日がはじまろうとしているのです。その一日が、夜までつづくのです。
それから、次の一日がやってきて、そのまた次の一日がやってきて、一日また一日と、ずるずる、ずるずる、なんのへんてつもないヘムレンさんの日々が、のんべんだらりとつながっていくのです。

「ムーミン谷の十一月」

時は流れない

先日、友人に誘われ野球観戦@東京ドームに行ってきた。

日ハムvs楽天

超地味なカードだが、日ハムの6番、田中幸雄選手の通算安打数が5/16日の試合を終えた時点で1,
2,000本安打まで後一本と迫っていたので、フーズフーズの頃からの田中選手のファンである友人Iに誘われ記録達成の瞬間を拝みにいくことになった。 (フーズフーズに在籍していたかは未確認)

試合は6時開始だが、ドームに着いたのは7時過ぎになってしまった。
水道橋駅からドームに向かう途中のチケット売り場があるのだが、こんなしょぼいカードなのにも関わらず(失礼)、長蛇の列になっていた。
これは意外だった。田中幸雄って人気あるんだなー。


手荷物検査を終え、回転ドアをくぐって球場に入ると正面にガラガラの3塁側スタンドが見えた。 さすが楽天。
やはり日ハム側がメインになっているのかな、観客席に近づいて驚いた。1塁側はほぼ満員だったのだ。

さて、試合は淡々を進み、まぁそれほど盛り上がることもないまま田中幸雄の打席がやってきた。
すると。
辺りの人がわらわらと立ち上がるではないか!
ユキオーユキオーと言いながら歌い、叫び、跳ねる。
ただ打席に立つだけでスタンディングオベーションとは、スターのようだ。というか、日ハムファンにとって、彼は紛れも無いスターなのだろう。それを初めて実感した。
実感はしたが面倒なので座っていたかったが、前の人が立ち上がったため何にも見えなくなってしまし、仕方なく立ち上がると、田中幸雄はその打席で見事に右中間にヒットを放った。クリーンヒットだった。
ヒット自体は取り立ててどうというものでもなかったが、周りのファンの反応は凄かった。
高く跳ね、声を枯らし叫び、闇雲に写真を撮る。球場は揺れ、売り子は販売を諦め、人々は皆笑顔だった。 泣いているファンもあった。友人もグッときている様子だった。


俺が見たのはたった一本のヒットだが、それに至るには様々に起伏があったのだろう。そしてファンもそれを自分に重ね合わせて応援してきたのだろう。だから今、共に泣けるのだろう。
分かる、などとはとても言えないが、なぜか俺にも込み上げるものはあった。

随分前のウイスキーのCMに、こんなフレーズが流れていたのを思い出した。

時は流れない。

それは積み重なる。


重ねられた時というのは人の心を動かす力があるんだなぁ。と一本の平凡なヒットを見て思うのでした。

2007/05/15

バッド・エデュケーション


バッド・エデュケーション
LA MALA EDUCACION
BAD EDUCATION
(2004、スペイン)
監督: ペドロ・アルモドバル
出演: ガエル・ガルシア・ベルナル  イグナシオ/アンヘル/サハラ
    フェレ・マルティネス       エンリケ



 「オール・アバウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」のペドロ・アルモドバル監督が、2人の青年の過去から現在に至る壮絶な愛と裏切り、渦巻く欲望をスリリングに描いた半自伝的ドラマ。主演は「モーターサイクル・ダイアリーズ」のガエル・ガルシア・ベルナルと「アナとオットー」のフェレ・マルティネス。 1980年、スペインのマドリード。新進映画監督のエンリケは、若くしてすでに成功を収めていた。そんな彼のもとにある日、少年時代の親友イグナシオが脚本を手に突然訪ねてくる。神学校寄宿舎では強い愛で結ばれていた2人だったが、イグナシオの変貌ぶりに戸惑い、疑念を感じてしまうエンリケ。一方で彼は、差し出された脚本の内容に惹き込まれていく。そこには少年時代の彼らの一途で純粋な愛と、それを引き裂く悲劇が綴られていた。2人はその脚本を基に自伝的な映画の撮影を始める。しかしその後、エンリケはイグナシオの大いなる秘密を知ることになるのだった…。(allcinemaより)



最近見る機会の多いガエル・ガルシア。

いやーコイツはやっぱりかっこいいなぁ。白地に花柄のシャツなんて俺も着こなしてみたいよ。

そしてカッコイイばかりではなく、今作は演技も凄い。

まず女装。そしてホモ。おっさんとキス。(←演技関係ねぇw)

仕事とはこれは凄い。プロだ。劇中でも必死に役を貰おうとする役者を演じているのだが、その気迫は劇中のイグナシオのものなのか、ガエル・ガルシア本来のものなのか分からなくなる。圧巻です。

対するフェレ・マルティネスもいいね。こちらは落ち着いた演技を見せていて、これまたハマってる。

神父も少年時代の子役も、チョイ役のスタイリストまで皆いい演技を見せてます。

素晴らしいキャスティング。

ストーリー・プロットもテンポ良く先へ先へと引っ張って行き、間延びさせません。シークエンスの長さ、時系列の調整の仕方もちょうど良く感じました。

ファッション・町並み・インテリア、映像も素晴らしい。白壁の貧しい住居。ステンドグラスのように色を散りばめた壁面。赤い柱。原色のシャツ。

来年から甥っ子がバレンシアに留学するんだけど遊びにに行きたくなりました。

全体のバランスがよく、映画として非常に完成度が高いと思います。

惜しむらくはゲイの心理がイマイチ分からなかったこと。

頑張ったけどやっぱり感情移入出来なかった。

まぁ良かったのかもしれないがw

満足度 68点  ・`ω・) ホモ!?ス・スゲェ…

16歳の合衆国


16歳の合衆国

THE UNITED STATES OF LELAND

(2002、アメリカ)


監督:
マシュー・ライアン・ホーグ


出演:
ライアン・ゴズリング
リーランド・P・フィッツジェラルド
ドン・チードル
パール・マディソン
クリス・クライン
アレン・ハリス
ジェナ・マローン
ベッキー・ポラード







突然、刹那的な殺人という凶行に走ったごく平凡な16歳の少年の心の内を真摯に見つめた衝撃の青春ドラマ。本作がデビューとなる新鋭マシュー・ライアン・ホーグ監督が、ロサンジェルスの矯正施設で教員生活を送った時の実体験を基に脚本を執筆、作品のテーマに共鳴したケヴィン・スペイシーが製作にも名を連ね映画化を後押しした。恋人の弟を殺してしまった主人公の複雑な心の葛藤と、事件で安定を失ってゆく周囲の人々の人間模様をリアルに描く。主演は「タイタンズを忘れない」「完全犯罪クラブ」のライアン・ゴズリング。
 16歳の少年リーランドはある日突然、知的障害を持つ少年ライアンを刺し殺してしまう。殺された少年はリーランドの恋人ベッキーの弟。リーランド自身も一緒に遊ぶなどよく面倒を見ていた。周囲の誰もが衝撃を受ける中、彼は逮捕され、矯正施設へ収容される。しかし、殺人の動機については決して何も語ろうとしない。教官を務めるパールは、聡明でとても殺人を犯すようには見えないリーランドに強い興味を抱く。売れない作家でもあるパールは、彼の心の奥底を解明することで本が書けるのではないかと期待し彼に近づく。そして、野心を秘めつつリーランドのカウンセリングを始めるだったが…。(allcinemaより)








大人しい少年。突然の凶行。黙秘。

10年会っていない有名作家の父。
息子を溺愛する母。
ドラッグに溺れる恋人。
閉じた心を開こうとする教師。


アメリカではよくあること。っていった感じのストーリで、飽食に満たされた国の倦怠が生んだ悩みらしい怠慢が鼻につく場面もある。


映画をみているとよく思うのだが、どうもアメリカには特有の歪みがある気がする。


例えば、劇中、ヤク中のベッキーのセリフにこんなのがある。


「私は悪い子じゃない。それは分かってる。


ただ過ちを犯しただけ。」



お前が言うなー (,,`゜皿゜)≡⊃≡⊃≡⊃)`A゜)ノ、;'.・


ってのが普通の反応じゃないのかなー?


なんていうのかな。性善説に過ぎるっていうか、理想を理想のまま置きすぎるっていうのか、いいことも悪いことも出来るし、したいのが人間だと思うんだけど、どうも悪いものは人外に置いてしまって、それは仕方の無いことなんだよ、さあ祈ろう、もしくはカウンセリングを受けようっていうスタンスには違和感を感じる。「厳しさ」や「強さ」を排除した「優しさ」や「愛情」なんて寝言ほどの役にも立たないと思うのだが。



ちょっと脱線気味なので映画に戻すと、そういったことを考えるのが思春期の特徴であり特権であるとするのなら、その点この作品はよく出来ている。主人公のバランスの悪さ、全能感が垣間見える応対などはとてもリアルだ。


中でもラストのWHY?は秀逸だ。主人公が頭の整理がつかないながらも優しさを選択しようとしたのがよく伝わってくる。


最後の事件も根っこは同じで、強さを弱さと優しさを上手に定義付け出来なかったということなのだろう。


真っ直ぐに生きる。


ただそれだけのことが何故時に困難なのか。


たぶん人はその問いの答えを出せないまま大人になってしまうからなのだろう。



満足度 76点 僕にもそんな風に思っていたころがありました・・

赤ちゃんポスト

赤ちゃんポストについて、意見が割れている。

熊本の病院が今月10日から運用を開始したのだが、初日に早速捨てられていたことが発表されたのだ。
3歳の男の子だという。
ふーむ。ちょっと考えてみよう。


まず赤ちゃんポストとは何か。

知らない方もいないと思うが一応読売新聞の記事を引用しておきます。






命救う試み波紋 「子捨て助長」批判も



 熊本市の慈恵病院が、様々な理由で子育てが出来ない親から匿名で新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の年内設置を目指している。(熊本支局 掃本(ほきもと)直行)

(中略)蓮田太二・副院長(70)は「捨てられ、失われる命を救いたい」と語る。その背景には、中絶や養育放棄で多くの命が失われている実態がある。

 厚生労働省によると、捨て子の相談数は年間200件前後とされる。(中略)

日本でも、子捨てを助長しかねないと危惧(きぐ)する声がある。日大大学院法務研究科の板倉宏教授(刑法)は「安易な養育放棄につながりかねず、病院は親から養育できない理由を聞き出す工夫が必要だ」と話す。

(中略) 柳沢厚生労働相は衆院厚生労働委員会で、「一つの救いを提供する意味もある」と意義を認める一方で、「あそこに行けば子どもから離れられるという気持ちを助長する懸念もある」と答弁した。

 大臣発言は賛成、反対の溝は簡単には埋まらないことを端的に示す。病院や自治体、関係省庁で課題を整理し、議論を深める必要がある。

 慈恵病院の赤ちゃんポスト 現計画では、人目に付きにくい病院の外壁に開閉できる扉(縦45センチ、横65センチ)を設け、36度に温度管理された特製の保育器を置く。新生児の重さをセンサーが感知し院内にブザーで知らせ、医師らが駆け付ける仕組み。監視カメラは付けず、「もう一度、赤ちゃんを引き取りたいときは、信頼して、いつでも連絡してください」といった内容の手紙を置く予定。

2006年11月29日 読売新聞)



最初に書いたとおりこのポスト設置をめぐっては意見が割れている。
割れている段階で強行するのだからいかな謗りをも受ける覚悟があるだろう。

世論は、大まかに言って、罪の無い命を守ることを最優先すべきだという意見と、安易な保護は倫理崩壊を加速させる、といった見解とに分かれていると思う。

んーやっぱり、俺の立場は後者だな。




自由と責任を切り離すことだけはしてはならない

ってことだね。


いかな理由があろうと、行為と結果に対する責任は負うべきだ。

理由も問わずに責任のみを放擲させるなんてアホの極地。


アホは話が読めないからアホなのだ。ただ助けてやるだけでは愚行を繰り返すのは目に見えている。
ご飯お預け、殴る蹴るの暴行を加えるなど動物の躾よろしく教育する必要がある。
産むだけなら猿でもできる、よね。




思ったんだけどさ。
ちょっとそこらへんのホームレスの人さ。

捨てられた。

って言ってポスト入ってきなよ。


理由は問わずに3食昼寝介護付き。

快適ですよ?

2007/05/14

この森で、天使はバスを降りた


この森で、天使はバスを降りた
THE SPITFIRE GRILL
(1996、アメリカ)

監督:リー・デヴィッド・ズロトフ
出演:アリソン・エリオット
   エレン・バースティン










ある町に降り立った少女が巻き起こす出来事を温かい視点で描くハートウォーミング・ストーリー。森の奥深くにある小さな町を通るバスからパーシーという少女が降りてくる。彼女は、ハナという無愛想な女が経営するレストラン『スピットファイアー・グリル』で働くことになる。町の人々はよそ者であるパーシーに奇異のまなざしを向けるが、パーシーの魅力に周囲の人々は惹かれてゆく。だが、彼女は誰にも言えない暗い過去があった。(allcinemaより)









シンプルでいて情感あふれるストーリー。
素朴な人々が住む小さな町の大きな、しかし歴史に残るようなものではない事件を描いた物語。

邦題が原題からえらい飛躍していますが悪くはないかと。最初はギャップを感じるでしょうが、最後まで観ればきっと納得ゆくかと思います。
これに限らず、内容に則してオリジナルティを持たせた邦題は味があって好きですねー。センスが問われるところですが。

ほどよく起伏のあるストーリー展開もいいですが、静かな町の生活、音の無い森の中のヒロインが透明感に溢れていて静かに見ているといつの間にか映画の世界に引き込まれます。そのピュアな雰囲気を味わうだけでも見る価値はあると思います。


ちなみにこのブログに頻出する近所のビデオ屋ランキングの1位作品です。ただ僕はamazonでDVDが690円で売ってたから買っちゃいましたけど。ちょっと画像が荒いけど、超お買い得でした。



正直あまり内容に触れたくないです。

結末には賛否両論あると思いますが、万人にオススメできる秀作だと思いますので信じて観てみてくださいな。



総評 90点  (;´Д`)ノ パースィーーー!!

バベル



BABEL

(2006、アメリカ)



監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
 
出演: ブラッド・ピット   リチャード
    ケイト・ブランシェット  スーザン
    ガエル・ガルシア・ベルナル   サンチャゴ
    役所広司   ヤスジロー
    菊地凛子   チエコ
    アドリアナ・バラーザ  アメリア
    ブブケ・アイト・エル・カイド  ユセフ
    ムスタファ・ラシディ  アブドゥラ





「アモーレス・ペロス」「21グラム」の俊英アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、旧約聖書の“バベルの塔”をモチーフに描き出す衝撃のヒューマン・ドラマ。モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本、それぞれの場所で孤独な魂どうしが織りなす愛と哀しみ、再生への希望の物語が同時並行で鮮やかに綴られていく。日本から役所広司とともに参加した菊地凛子が各国の映画賞レースを賑わせ日本でも大きな話題となる。 モロッコ。山羊飼いのアブドゥラは知り合いから一挺のライフルを買い、それを山羊に近づくジャッカルを追い払うためとして息子の兄弟アフメッドとユセフに与えた。すると、兄弟は遠くの標的めがけて遊び半分で射撃の腕を競い合い、ユセフが険しい山間部を走ってくる一台のバスに引き金を引く。そのバスには、一組のアメリカ人夫妻リチャードとスーザンが乗り合わせていた。彼らは、生まれて間もない3人目の子供を亡くしたことがきっかけで壊れかけた絆を取り戻そうと、2人だけで旅行にやってきた。ところが、どこからか放たれた銃弾が運悪くスーザンの肩を直撃。リチャードは血まみれの妻を抱え、医者のいる村へと急ぐ。一方、夫妻がアメリカに残してきた幼い子供たちマイクとデビーの面倒をみるメキシコ人の乳母アメリア。息子の結婚式に出るため帰郷する予定が、夫妻が戻らず途方に暮れる。やがて彼女は仕方なく、マイクとデビーも一緒に連れてメキシコへと向かうのだった。日本。妻が自殺して以来、父娘関係が冷えきっている東京の会社員ヤスジローと女子高生になる聾唖の娘チエコ。またチエコは満たされない日々に孤独と絶望を募らせていた。そんな中、モロッコの事件で使用されたライフルの所有者として、ヤスジローの名前が浮かび上がる…。(allcinemaより)





すげーいっぱい書いたのにまちがって全部消しちゃってやるきなくした。

もう適当に書く。軽くネタバレもあるかも。全部は書かないから安心してくらはい。


大きく分けて次の4つのストーリーの同時進行で構成されている。(題名は適当につけた)


い)東京が舞台の「リンコ、何も聞こえない!」


ろ)アメリカ、メキシコが舞台の「サンチャゴのバカ!死んだらどうするの?」


は)モロッコが舞台の「モロッコブラザース。愛の賛歌」


に)同じくモロッコが舞台の「俺達、セレブ夫婦」


4本立てでお送り4本が同時に進む。ただし時間軸は多少いじってある。

それぞれのストーリーの接点は、(ネタバレ。反転してください) い)に出てくる女子高生の父親がモロッコにハンティングに行った際に現地のガイドにあげたライフルが は)の兄弟に渡り、その兄弟がふざけて撃った弾が に)の夫婦のうち妻の肩に命中して瀕死に。 夫婦はアメリカ人で2人の子供がいるがメキシコ人のベビーシッターに預けて今回の旅行に来ていた。そのベビーシッターが子供達を連れてメキシコに行くのが ろ)の話。 ってだけ。 最後まで絡まないし、直截には関係ないと言っていい。


~バベル御鑑賞上の注意~


1)デートでは見ないほうがいい。会話弾まないから。


2)どうしてかっていうと、4つの話の同時進行という構成なうえにほとんど絡まないから主題がわかりにくい。結末が明確でなく、内容が明かされない手紙があるなど視聴者に委ねられている部分も多いため下手に自分の解釈を言うとすれ違う恐れがあり、臆病になってしまうと思うから。現に俺の両隣のカップルは退席時もずっと無言だった。俺も一人なのにスタッフロールが終わるまで考えをまとめる必要があった。分かりやすいのが好きな人は隣のスクリーンでロッキーを観ましょう。


3)話題の凛呼ちゃんは大したことない。演技もボディも(←失礼)。手紙は気にしてはいけない。


4)話題のポケモンフラッシュも俺には効かなかった。っていうかそこらの店でもある程度の演出。


5)モロッコは雰囲気があっていい。しかしモロッコである必然性も必要性もない。


6)メキシコも雰囲気はいい。行ってみたい感じ。サンチェゴと兄妹の行く末を案じてはいけない。


7)ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットは誰でも良かったんじゃ?などということはない。失礼なことを言ってはいけない。


8)この映画がまとまっていないのではなく、あなたの頭脳が愚鈍なのだ。ただそれが普通なので気にしないこと。



満足度 75点 ハッキリ言って完成度は低いです。

(↑考えてみると、作品を評してるわけでもないので今度から変えます)

2007/05/10

ゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊、って知ってますか?

多くの人は知らないと思います。
でも、体験したことはあるはずです。
多くの人は。


以下、wikipediaより

ゲシュタルト崩壊とは心理学における概念の一つで、全体性を持ったまとまりのある構造(ドイツ語でゲシュタルトGestalt 形態)が、なにかをきっかけとして関連性に疑念を抱く状態となり、個々の構成部分のみに切り離して認識しなおそうとする事である。
例えば、生来なにも疑わずに受け入れて育ってきた環境や知識に対して、それと宗教的や制度的に全く反する世界を体験した際、それまで持っていた
自我アイデンティティーの存在意義について、自らが立っていた土台そのものが崩される思いをする現象である。
同様な現象は
認知心理学にも『文字のゲシュタルト崩壊』という現象として見られる。これは、同じ漢字を長時間注視していると、その漢字がバラバラに見えたりする現象である。ただしこの際、静止網膜像のように、消失は起きないとされる。 また、「借」と言う字を見たときに起きやすいようである。

どうです?
特に「文字のゲシュタルト崩壊」の「同じ漢字をずっと見続けていると見慣れない感じに見えてくる」こと。
経験ありませんか?

>「借」という字を見たときに起きやすいようである。
なんて書かれたら見たくなっちゃいますよね?
用意しました。
ハイ、どうぞ。

じっくりと見つめてください。








どうですか?ゲシュタルト、だいぶイッちゃいましたか?


僕はこの現象には小学校くらいには気付いていて、このバラバラに壊れた感覚の底に「確かなもの」が見えるような気がして、また単純にその感覚が面白かったので、時々わざとゲシュタルトを崩壊させて遊んでました。
もちろんゲシュタルトなんて名前は知らなかったですけど。

ところで、これ、漢字だけじゃなくて、人の顔でもこういうことない?って思った人いませんか?

そうです。これは静的なものならなんにでも起こるようなのです。
どうも元来人の目(脳?)というのは動的なものに比べて静的なものを捉えるのが苦手なようですね。
止まっているものをずっと認知し続ける、ということが出来ないようです。
そうやって脳に入る情報量をコントロールしているのかもしれませんね。

先ほどゲシュタルト崩壊で遊んでいた。と言いましたが、僕がそのとき使っていたのは、鏡に映る自分の顔とか、母親の顔とかでした。それらをじーっと見つめ、見知らぬ他人に見えるまで凝視したりして遊んでいました。
自分はともかく、見慣れた母の顔が別物に見える感覚というのは、そら恐ろしいものでしたよ。
人間不信になりそうでした。

僕はこれを精神鍛錬にもいいと思って行っていましたが、今回この言葉を知って2,3のサイトを調べていたらこんな話を見つけました。

大戦中 ナチスがユダヤ人に行なった実験に 人格をコントロールするという名目で 一日数回 被験者を鏡の前に立たせて、鏡の向こうの自分に話し掛けさせ (例えば『お前は誰だ』とか言わせ)精神の変化を観察記録していったそうな。 実験開始後 10日間経過したころには異変がみられ始めた。 判断力が鈍り 物事が正確に把握できなくなり、 そして3ヶ月経った頃にはすっかり自我崩壊し 「自分が誰だか分からなく」なって 狂ってしまった。


(以下、それを読んだ人の話。)

当事、好奇心旺盛だった友人(以下 )と僕は 「ウソくせー 試しにやってみようぜ」という事になった
(中略)
しかしすぐに 気分が悪くなり 吐き気を催し (僕の顔がキモかったからでは無いです) やっぱヤバいなと思って私はやめた。
(中略)
次の日 友人Aに 怖くてちょっとしか出来なかった旨を言うと 「うわ、ダッセー あんなもん怖くもなんもねぇよ」と子馬鹿にされました。
(中略)
それから数日後 夜中 急にAから電話がかかってきた。そして受話するや否やいきなりAが 『俺って オレだよな? 俺って、相田XXX(Aの本名) だよな?』 と変な事を聞いてきた 『な?な?』って 今にも泣きそうな声で聞いてきた
僕が「何おかしな事言ってんだよ、お前は相田XXXだろ」と答えてやると 『そっか...そう だよな。』と Aは少し落ち着いた様子でこう続けた 『実はさ、あの後も 何度か鏡に向かってやってたんだ。いや、別にナルシストなわけじゃないんだけども鏡の自分に話し掛けてると不思議と気分が良かったんだ』 『何かどんどん自分が自分じゃ無くなっていく感覚が気持ちいいんだ』
(中略)
心配になってもう一度電話をかけてみたがなかなか出ない。 12回コールしたところでやっと出たAは一言こう言った。  
 『 お前.. 誰だ? 』
(中略)
その後Aは実家に連れ戻され地方の病院に入院したので 詳しいことは分かりませんが 人づてに聞いた話によると 今では精神状態も大分良くなったそうな ただ、Aの病室には自分が映る鏡や鏡面の金属製の物は一切置いてないのだと

http://syarecowa.moo.jp/129/24.html




ひぃぃぃいいいい((((;゚Д゚)))))

どうも僕は自分で思う以上のハードトレーニングを積んでいたようです。


けどまぁ、もしアイデンティティに悩んだらこういうのもいいかもしれませんけどね。
少なくとも僕は自分がこの世界の住人であることに異議を挟もうとは思わなくなりました。
それを前提として考えを組み立てるようになった、という方が正確かな。



そういえば悪魔を呼ぶ方法にも合せ鏡の中で念じるなんていうのがありました。

合わせ鏡の中の悪魔はどこから出てくるんでしょうねぇ・・・。



例えば、

ほら、



あなたの中にも・・・・



ひひひひひひひひひひひひひひ




ドット

ドット
(2005、アメリカ)

近所のビデオや最新作を借りてきたんだが、劇場未公開作だったらしく検索しても情報が何もねぇw
最新作だからすぐ返しちゃったんで、資料も残ってねぇw

なんか見たことある人が出てたけど名前もわからねぇw
とりあえず24(アメリカのドラマね)に出てた女の子が出てるみたいよ。観てないから誰だか分かんないけど。

筋としてしては~、えーと、ネタバレしないでサスペンスを説明するのって難しいな。
しかも最初に言っちゃうけど、この映画は脚本が酷くて、なんか登場人物の行動が短絡的で、そういう頭の悪い人たちばかりの物語になっているから、全体としては破綻してるんだよね。

でもまぁそれでも要約するなら、

学内でも評判の美人のニーナの家に引き取られてきた娘ドナ(←仮名。名前忘れたw)。
彼女は幼い頃に母を、最近になって父を事故で亡くした孤児であり、しかもそのショックで聾唖になっていた。
最初はドナを嫌っていたニーナだが、徐々に彼女の静かな人柄に魅かれるようになる。
やがてニーナはドナの秘密を知り、ドナはニーナの秘密を知らせれることになる。
それがどんな結末を呼ぶかも知らずに・・・

ってな感じかな。


ドット・ジ・アイが結構面白かったんで思わず借りてしまったが、当然なんの関係もありませんw


総評 15点 24の美人さんが好きならいいんじゃないの?(どっちだか知らんがw)

ロッキー・ザ・ファイナル


ロッキー・ザ・ファイナル
ROCKY BALBOA
(2006、アメリカ)

監督・脚本・主演:シルベスター・スタローン











 シルヴェスター・スタローンの出世作にして代表作「ロッキー」シリーズの6作目。スタローン自ら脚本と監督もこなし、第1作から30周年を迎えた伝説のシリーズを締めくくる。現役を引退し、愛妻エイドリアンにも先立たれ、おまけに一人息子との関係もこじれて満たされない日々を送るロッキーが、ある決意を胸に無謀な復帰戦に挑む姿を、彼の人生の思い出の数々をちりばめつつ熱く感動的に綴る。
 ボクシング界のかつてのヒーロー、ロッキー・バルボアも今では引退し、地元フィラデルフィアで小さなイタリアン・レストラン“エイドリアンズ”を経営していた。妻エイドリアンは既に他界し、息子のロバートは有名人の父に反発して家を出ていった。もはやかつての栄光とエイドリアンとの思い出にすがって生きるのみだったロッキー。だがやがて、そんな心の喪失感を埋めようと再びボクシングを始めたロッキーは、次第にかつての情熱を取り戻していく。一方、無敵の現役ヘビー級チャンピオン、ディクソンは対戦相手に恵まれず、マッチメイクに苦しんでいた陣営は、伝説の王者ロッキーとのエキシビジョン・マッチというイベントを企画する。降って湧いた現役最強ボクサーとの対戦というオファーに対し、ロッキーはある決意を秘めこれを受けて立つのだった…。(allcinemaより)










ひっさびさに劇場で映画観た。
やっぱ映像は綺麗だね~。音も容赦の無い大音響でイイ!(・∀・)
だけど後ろの席の奴がずっとポップコーンくちゃついてやがって、それはイクナイ(・Α・)
トータルとしては自宅劇場の方がいいかな?


で、あのロッキー最新作にして最終作。

原題はファイナルじゃないのね。


評判では意外にも面白い!という評判が多く聞いた。
ラジー賞(つまんない映画に贈られる賞。毎年やってるけど授賞式には誰も来ない)の常連のスタローンだが、今作では文字通り命を削ったドーピングによる素晴らしい肉体を駆使して最高の作品を作り上げてきたようだ。

期待を胸に観にいったけど、うーん・・。ちょっと期待しすぎた感じ?
っていうか年を取りすぎたのかな~。

ロッキーのセリフが胸に響かない・・・。
突き上げる拳が脳を叩かない・・・。
あのメインテーマは・・・、ちょっとキましたw

まぁロッキーだからいいのかなぁ。
ちょっと評価が難しいです。


総評 77点  ロッキーシリーズの評価と取ってもらっても結構です・・

2007/05/01

4301 アミューズ, T&D欧州新成長国

100株 1429円指しといたら売れてた。
今日の始値が1396円だったのに、9:05に約定。結局1414円で終えてた。

こんな値でも約定するときがあるんだなぁ・・。
平均取得単価が1402円になってたから、1429-1402=27*100=2700円。
ちっちぇぇええええ!CDも買えんな。

ついでに月々一万円だけT&D欧州新成長国ファンドに積み立てることにした。
今は+0.66%みたいだけど、結構リスクは高そうなのでワクワクして見てみることにする。


手数料とか考えるのが面倒なので収益は口座サマリーで見ることにしよう。
現在の資産評価が
546,453
口座に入れたのは55万だから
-3,547円
か・・・。
やっぱ種が小さいと動きもしょぼいな。