2007/05/22

パンク侍、斬られて候




パンク侍、斬られて候
町田 康
マガジンハウス















町田康、初の時代小説。らしいけど、そういったカテゴリーに収まる物語ではない。まぁタイトルで分かると思うけど。


あらすじとしては、掛十之進なる牢人が「腹ふり党」なる新興宗教の跳梁を利用して黒和藩の召抱えになろうと企み家老に近づくも目的を見透かされるが、家老は家老で対立する家老を追い落とすためにこの企みを利用しようと考え掛と組むことにする。
ところが、ことは描いたシナリオ通りには進まず、後には引けない2人は事件をでっち上げるなどして進展を図るが、これが暴走し異常事態を引き起こし、ついには藩の危機を招くことになってしまう。
これはいかんと沈静化を目論むも兵力が足らず右往左往していると、人知を超えた意外な協力者が現れる。
説明の付かない友軍、超常現象を操る敵。振られ続ける腹。
空前絶後の戦いはやがて全てを巻き込み終末へと邁進する―。
って感じ。
見ての通り、時代小説ではもはやありえない。


町田康の小説全般に言えることだが、登場人物は総じて皆真面目である。
真面目に下らないことを考え、何かのバランスを取るように発作的に意味不明な行動に出る。
この支離滅裂、傍目にはまるで狂気の行動を取る気持ち、その心理が分かる。様な気がするのが町田作品の魅力の一つではないだろうか。
誤解を恐れずに言えば、意味不明な行動のカウンターパートとして世の中が描写されているのではないだろうか。

さてさて、そんな真面目な登場人物たちだが、名前は一風変わっていることが多い。
本作でも"江下レの魂次"や"大臼延珍"など読みにくく覚えにくい名前が登場する。”シトゲちゃん”や”差オム”などといったあだ名も唐突に出てきて、しかもそれについての一切説明は無い。
正直言って読みづらいのだが、何故こんな名前を付けるのか?
このことについて、町田康は以前インタビューで答えている。

質問は自分自身が以前にパンク歌手をしていた時に(今も現役か?)、名乗っていた"町田町蔵"という芸名についてのものだったと思うが、「何故その名前か?」を問われた彼は、
「パンクに名前は関係ない。意味も無くカッコ悪ければ、それでいい」
と回答していた。

名前は関係ない。
名前が関係ないならば、その存在に関係するものとはなんだろう?また、どうして名前は関係ないのだろう。
大事なものとそうでないもの。好きなものと嫌いなもの。
区別の難しいものを時に定義することもなく割り切った生き様は清清しく、はっきりいってカッコいい。 近作においてもラストで放たれる台詞にその魂が込められている。


これも町田康全般に言えることだけど、 好き嫌いが分かれるのは間違いないと思う。

まぁ彼が好きな人は後悔しませんので是非。
好きじゃない人は・・、止めといた方がいいかもw
未読な人は、最初は辛いかもしれないが、そこはちょっと頑張って最後まで読んでみてください。
慣れるとハマリますよーw

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