2007/05/15

16歳の合衆国


16歳の合衆国

THE UNITED STATES OF LELAND

(2002、アメリカ)


監督:
マシュー・ライアン・ホーグ


出演:
ライアン・ゴズリング
リーランド・P・フィッツジェラルド
ドン・チードル
パール・マディソン
クリス・クライン
アレン・ハリス
ジェナ・マローン
ベッキー・ポラード







突然、刹那的な殺人という凶行に走ったごく平凡な16歳の少年の心の内を真摯に見つめた衝撃の青春ドラマ。本作がデビューとなる新鋭マシュー・ライアン・ホーグ監督が、ロサンジェルスの矯正施設で教員生活を送った時の実体験を基に脚本を執筆、作品のテーマに共鳴したケヴィン・スペイシーが製作にも名を連ね映画化を後押しした。恋人の弟を殺してしまった主人公の複雑な心の葛藤と、事件で安定を失ってゆく周囲の人々の人間模様をリアルに描く。主演は「タイタンズを忘れない」「完全犯罪クラブ」のライアン・ゴズリング。
 16歳の少年リーランドはある日突然、知的障害を持つ少年ライアンを刺し殺してしまう。殺された少年はリーランドの恋人ベッキーの弟。リーランド自身も一緒に遊ぶなどよく面倒を見ていた。周囲の誰もが衝撃を受ける中、彼は逮捕され、矯正施設へ収容される。しかし、殺人の動機については決して何も語ろうとしない。教官を務めるパールは、聡明でとても殺人を犯すようには見えないリーランドに強い興味を抱く。売れない作家でもあるパールは、彼の心の奥底を解明することで本が書けるのではないかと期待し彼に近づく。そして、野心を秘めつつリーランドのカウンセリングを始めるだったが…。(allcinemaより)








大人しい少年。突然の凶行。黙秘。

10年会っていない有名作家の父。
息子を溺愛する母。
ドラッグに溺れる恋人。
閉じた心を開こうとする教師。


アメリカではよくあること。っていった感じのストーリで、飽食に満たされた国の倦怠が生んだ悩みらしい怠慢が鼻につく場面もある。


映画をみているとよく思うのだが、どうもアメリカには特有の歪みがある気がする。


例えば、劇中、ヤク中のベッキーのセリフにこんなのがある。


「私は悪い子じゃない。それは分かってる。


ただ過ちを犯しただけ。」



お前が言うなー (,,`゜皿゜)≡⊃≡⊃≡⊃)`A゜)ノ、;'.・


ってのが普通の反応じゃないのかなー?


なんていうのかな。性善説に過ぎるっていうか、理想を理想のまま置きすぎるっていうのか、いいことも悪いことも出来るし、したいのが人間だと思うんだけど、どうも悪いものは人外に置いてしまって、それは仕方の無いことなんだよ、さあ祈ろう、もしくはカウンセリングを受けようっていうスタンスには違和感を感じる。「厳しさ」や「強さ」を排除した「優しさ」や「愛情」なんて寝言ほどの役にも立たないと思うのだが。



ちょっと脱線気味なので映画に戻すと、そういったことを考えるのが思春期の特徴であり特権であるとするのなら、その点この作品はよく出来ている。主人公のバランスの悪さ、全能感が垣間見える応対などはとてもリアルだ。


中でもラストのWHY?は秀逸だ。主人公が頭の整理がつかないながらも優しさを選択しようとしたのがよく伝わってくる。


最後の事件も根っこは同じで、強さを弱さと優しさを上手に定義付け出来なかったということなのだろう。


真っ直ぐに生きる。


ただそれだけのことが何故時に困難なのか。


たぶん人はその問いの答えを出せないまま大人になってしまうからなのだろう。



満足度 76点 僕にもそんな風に思っていたころがありました・・

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