2007/05/29

ミュンヘン


ミュンヘン
(2005、アメリカ)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:エリック・バナ  アヴナー
    キアラン・ハインズ  カール
    ダニエル・クレイグ  スティーヴ
    マチュー・カソヴィッツ  ロバート
    ハンス・ジシュラー  ハンス
    ジェフリー・ラッシュ  エフライム
    ミシェル・ロンズデール パパ
    マチュー・アマルリック  ルイ


「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」のスティーヴン・スピルバーグ監督が、1972年のミュンヘン・オリンピックで起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件とその後のイスラエル暗殺部隊による報復の過程をリアルかつ緊迫感のあるタッチで描いた衝撃の問題作。原作は、暗殺部隊の元メンバーの告白を基にしたノンフィクション『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』。主演は「ハルク」「トロイ」のエリック・バナ。
 1972年9月5日未明、ミュンヘン・オリンピック開催中、武装したパレスチナのテロリスト集団“黒い九月”がイスラエルの選手村を襲撃、最終的に人質となったイスラエル選手団の11名全員が犠牲となる悲劇が起きた。これを受けてイスラエル政府は犠牲者数と同じ11名のパレスチナ幹部の暗殺を決定、諜報機関“モサド”の精鋭5人による暗殺チームを秘密裏に組織する。チームのリーダーに抜擢されたアヴナーは祖国と愛する家族のため、車輌のスペシャリスト、スティーヴ、後処理専門のカール、爆弾製造のロバート、文書偽造を務めるハンスの4人の仲間と共に、ヨーロッパ中に点在するターゲットを確実に仕留めるべく冷酷な任務の遂行にあたるのだが…。(allcinemaより)



ユダヤを扱うハリウッド作品ということで「変なプロパガンダじゃないだろうな」と危惧していたが、むしろ制作者側もそうならないように配慮した感すら受けた。淡々と進む物語のもつリアリティは、誰が正しいのか、どちらが正しいのか、そういった視線自体の誤りを指摘しているようだ。

「ブラック・ホーク・ダウン」でも似たような感覚を受けたけど、説明を省いて映像を見せることにより不足する善悪判断を自問自答で補うことを余儀なくされ、結果浮かび上がってきた自分の思想が試されている、そんな気分になった。こういう禅問答みたいのは好きだね。禅問答やったことないけど。


スピルバーグ観るのも久し振りだと思うけど、「さすが」の腕前です。
カット割の工夫や光の使い方、物語の見せ方が上手いっ!

犠牲者の11人の名前を読み上げるシーンはテレビの紹介とテーブルに投げられる写真のカットを交互に入れることによって冗長さを無くしているし、冒頭の選手村進入やベイルート作戦の上陸のシークエンスでは男達が無言で素早く着替えることで何かの作戦のスタートとそれに伴う緊張感を演出している。
バーで女に誘われるシーンの構図や色使いも見事だし、アブナー夫婦がピロートークしているときに窓から流れる光のコントラストも二人の距離感を暗示するかのように絶妙。
中でも電話ボム作戦のときに、アブナーと車待機組み、電話犯をワンカットで収めたシーンは本当に感心した。配置も分かりやすく、距離間も近く感じるため緊迫感は増し、流れが途切れないからそこで行われているような肌で感じる現実感がある。


と、いうことで「いやー。映画って本当にいいですね」っていう結論に行きそうなところなのだが、いかんせんこの映画、パワー不足感が否めない。

それが一番顕著なのが主人公・アブナーその人。

表情はパッとしないし、秘密作戦受諾もグズグズだし、仲間に煽られたら「じゃあ殺す!」ってノリだし、劇中でも言われていたが、「何故リーダーに選ばれたか分からない」。

大体、命を狙われるようになって、急に脅えてベッドを切り裂いたり、家族に手を出すなと狂乱したりしたって遅いし、そんな展開になることが、首相みずから依頼の国家機密を負う特殊任務に就く、ターゲットの後任を殺す、などという選択をする時点で、こういう自体になることを考えつかないのはちょっとお粗末ではないかと。

なぜ、アブナーが家族を犠牲にしてまである面では確実に倫理を犯す特殊任務に就いたのか。
なぜ止めることを考えなかったのか。
何を守り、何を目指したのか。

そこにはある種の圧迫感や使命感があったのではと推測されるが、作中ではそこに説明は無い。
アブナーにとって「国家が母」であるという下りが答えなのかもしれないが、それは誰にも分かりやすい動機のひとつにしか過ぎないのではないかとも思う。
疑問を内包しながらも突き進むしかない状況的・心理的描写さえあれば、ガツンと心に響く作品であったように思う。


スピルバーグからすれば「ユダヤの悲劇だよ?言わなくったって分かるっしょ!」てな考えかもしれないが、ほぼ単一民族の島国で生まれ育ち、人類皆兄弟!のサヨク教育が脳幹から染み付いた俺には分からない。シオンだかゴルゴタだか知らないが、いい大人が丘のために家族丸ごと殺しあうなんてのはまるでコントだ。話は突然全く逸れるが、そういう意味では悲劇の喜劇性に気付いたチャップリンはやっぱり天才だな。彼がこの事件を題材にした映画を作ったとしたら、是非観てみたいな。


えーと。これ以上とっちらかる前に短くまとめるなら、”よく出来た大作だけど主人公がアホっぽくてイマイチ感情移入できなかった。”ってところでしょうか。
これは自分の無教養の所作かもしれないが、そうではないのではない可能性も充分にあると思う。
誤解を恐れずに言えば、主人公と俺は、あるパラダイムシフトの前後に立っている。そのくらいの距離感を感じた。

まぁそもそも、一回で判断するような映画ではないような気もします。
2回3回と観て違った理解が出来てこそ、「この映画を観た」と言えるのかもしれません。って全然まとまんなかったなorz                 


満足度 79点  パパはゴッドファーザー

           

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