2005/10/19

【Trash】パキスタン大統領、カシミール往来自由化を提案




パキスタン大統領、カシミール往来自由化を提案・被災支援
 【ニューデリー=山田剛】パキスタンのムシャラフ大統領は18日、同国北東部を襲った大地震を受けて、インドと係争中のカシミール地方で両国の被災者やその親族と援助関係者らが、停戦ラインを越えて相互・無制限に往来することを認めるようインド側に提案した。インド外務省も同日、これを歓迎する声明を発表した。同地方を巡って対立する両国は、救援活動での協力を模索し始めており、相互訪問の実現は双方の信頼構築に寄与するとみられる。 ムシャラフ大統領は大地震で最も大きな被害を受けたアザド・カシミール特別州の州都ムザファラバードで記者会見し、往来の自由化について「インド側が合意すれば、正式な手続きを取る」と表明した。カシミール地方住民の間では、停戦ラインによって隔てられた親族らを見舞うため、停戦ラインの自由な通過を希望する声が強まっていた。 インド政府はパキスタンの被災地に対し、これまで航空機や列車で計3回にわたって救援物資を輸送。18日には、インド側の4カ所に、停戦ラインの両側を結ぶ無料の臨時電話を設置すると発表した。 (01:20)
NIKKEI NET)




そういえばトルコ地震の時もギリシャが救援隊を出していた。その後、今度はギリシャが大地震に見舞われたときトルコは誰よりも早く援助を打ち出していた記憶がある。
過去に戦火を交えたこともある両国が見せた気遣いは、たとえそれがプロパガンダを孕んだものであったにせよ、世界を静かな感動に引き込んだのではないだろうか。


そもそも人が争うのは、自分の利益を阻害する他者を出し抜く(若しくは排除する)という目的を持ってのことだろう。状況が変わり争うこと自体が利益に反するのであれば、争わないという選択肢を選ぶことも出来るし、むしろ相手を助けることが自らの利益になるのであれば進んで手を差し伸べるだろう。
まして、今回の場合は国の問題だ。国家は感情では動かない。
では、今回のパキスタンを、かつてのトルコをギリシャを動かしたのはいかなる「利益」だったのか。

それは「信頼の増幅」、砕いて言えば「好きになってもらうこと」そのものでは無かろうか。
先に「国家は感情で動かない」と書いたが、個人は違う。感情に動かされる。むしろ感情に動かされることを目的として行動することすらある。やがて来るクリスマスシーズンに恋人たちがラブストーリーを観に行ったり、就寝前の子供たちに母親がハッピーエンドの物語を読み聞かせるのも、自らの、または時間を共にする人間の感情を呼び起こしたいからであろう。
こうして感情を揺り動かされた人々は「行動」する。そしてそれはほとんどの場合感動を与えてくれたものに対して極めて好意的に行われる。2人で観た映画がいかに素晴らしいものであったか友人に語ったり、絵本の中の少女のように母親に小さな野花を贈ったりするのだ。
人間は好きなものには与えたがる。
そして、その対象は人に限らず、映画でも思想でも、もちろん国家でもその対象になり得るのだ。
これが国家にとってどんなに大きな利益をもたらすかは語るべくもないだろう。

こうした人間の特性を利用したプロパガンダを否定する人も多いが、功利もあるとみるべきだろう。
プロパガンダに感動した人間は国家にも好意をよせるが、その内容である人道的な振る舞いにもまた好意を寄せるのだ。そうして人々は「行動」し、国家はそれを睨んで利益的に「行動」する。
イニシアチブを握るのは、人々が自らの意志を持って行動する限り、いつだって人間なのだ。


紛争地域に生まれた子供たちに明日があるよう願っている。

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